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《シリーズ》南北朝・菊池一族歴史街道(9)

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熊本県菊池市

■八女市
八女市では、南北朝に関する伝承や行事、文化財が現在に至るまで地元住民により大切に守られています。今回は五條家御旗祭(ごじょうけみはたまつり)と大杣(おおそま)公園祭を紹介します。

延元3(1338)年に南朝の軍事的な支柱と言うべき北畠顕家(きたばたけあきいえ)、新田義貞(にったよしさだ)が戦死したため、後醍醐(ごだいご)天皇は態勢の立て直しを余儀なくされ、皇子を各地に派遣しました。九州に派遣されたのは懐良(かねなが)親王。後醍醐天皇から征西将軍宮(せいせいしょうぐんのみや)に任じられ、その印として金烏(きんう)の御旗(みはた)と恩賞(おんしょう)と懲罰(ちょうばつ)についての裁量権を与えられた親王は、五條頼元(ごじょうよりもと)を筆頭としたわずか12人で九州に向かいます。
薩摩半島南部を経由し、正平3(1348)年に肥後菊池に入った一行は、菊池武光(きくちたけみつ)を味方にするなど、南朝勢力の結集に成功しました。正平14(1359)年の大保原(おおほばる)合戦(筑後川の戦い)に勝利した後は、正平16(1361)年に征西将軍府を太宰府に開き、九州を制覇するなど大きな成功を収めます。
文中元(1372)年、今川了俊(いまがわりょうしゅん)によって太宰府が陥落した後は、懐良親王の甥にあたる良成(りょうせい)親王が後を継ぎ、元中9(1392)年の南北朝合一後も抵抗を続けますが、親王は志半ばで筑後矢部で没しました。
八女市黒木町には懐良親王と良成親王に仕えた五條家の子孫が今も残り、八女市矢部村大杣公園内にある良成親王墓を守部(もりべ)として守り続けています。
毎年9月23日には市指定文化財でもある五條氏邸において、地元住民で組織された五條家宝物顕彰会(ほうもつけんしょうかい)主催により、五條家ゆかりの宝物が一般公開される五條家御旗祭が開催されます。
また、10月8日の良成親王の命日には、八女市矢部村で亡くなられた親王の御霊を慰めるため、公卿(くげ)唄や浦安の舞を奉納する大杣公園祭が開かれています。

問い合わせ先:菊池プロモーション室
【電話】0968-25-7267

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