■「原爆の図」を知っていますか?
地域人権教育指導員 末永知恵美(すえながちえみ)
▽「原爆の図」
「原爆の図」3部作(幽霊・火・水)は丸木位里(まるきいり)・俊(とし)夫妻の作品です。原爆が投下された5年後に発表された、それぞれ縦1・8メートル×横7・2メートルの大作です。
位里の故郷・広島に「新型爆弾」が投下された直後、2人は広島入りし、救援活動を行います。そこで多くの死を目の当たりにし、「原爆をうやむやにするわけにはいかない。このことは描いて残さなければならない」との思いで作品制作に取り掛かります。
「原爆の図」は全国各地を巡回展示し、被害の状況をいち早く人々に伝える役目を担います。被爆直後の人間の肉体そのものと心の痛みに焦点を当て、人間の有り様を詳細に描いたその作品は、人々の心を揺さぶり原爆の破壊力の凄まじさを伝えました。戦争の愚かさを雄弁に語っています。
▽「沖縄戦の図」
その後、2人は6年かけて「沖縄戦の図」を完成させます。沖縄に展示したいという願いは、佐喜眞道夫(さきまみちお)さんが、佐喜眞美術館(沖縄県内初の私設美術館)を創立し、実現します。
私が中学校に勤務している時、修学旅行で「沖縄戦の図」を生徒たちに見せたいと考え、戦跡を巡る通常コースに加えて、この美術館を訪れました。生徒らとともに、壁一面の絵の前に座り館長の説明を聞きました。
苦痛に歪む人々の姿、もはや人の形を留めていない山と積み上げられた惨たらしい死体の数々が丁寧に描かれていました。
6年もの長期間、その事実と向き合いながら、ひたすら描き続ける忍耐力、戦争への憤り、平和への願いはいかほどだったでしょう。
▽6月23日「沖縄慰霊の日」
佐喜眞美術館の屋上からは、広々とした米軍基地で離発着する戦闘機が見渡せました。幅広の6段の階段に続いて幅狭の23段を上った先には、6月23日の夕日が差し込む正方形の窓がありました。
美術館の敷地内には、内部に大人が10人ほど入ることができる大きくて子宮をかたどった独特な形の亀甲墓(きっこうばか)があります。
米軍基地・沖縄戦・亀甲墓と沖縄の歴史を象徴する美術館でした。
〔「原爆詩集」峠三吉(とうげさんきち)は本紙をご覧ください〕
終戦後79年になります。戦争を知る世代が減りつつある今、過去の教訓は生かされているのでしょうか。
問い合わせ先:人権啓発・男女共同参画推進課
【電話】0968-25-7209
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