◆10/23 六栄・清里小学校
・徳南 堅太(とくなん けんた)さん(フェンシング)
高校でフェンシングに出会い、大学時代にオリンピックに出場した先輩に勝てるようになったことで「オリンピックに出たい」というぼんやりとした夢ができ、オリンピック出場を目指しましたが、出場を逃し大きな挫折を経験しました。
挫折を乗り越え、ぼんやりとした夢は「絶対にオリンピックに出場する」というはっきりとした夢になりました。単身韓国に武者修行に行くなど努力を重ね、リオオリンピックに出場することができ、東京オリンピックにも出場することができました。
まずは、夢を持つこと。そして、夢を叶えるためにどう努力するか、壁に当たった際にどう壁を越えていくかがとても大事だと思います。そして、一番大事なことは、最終的に自分の中でやりきったと納得できることだと思います。
◆10/24 長洲小学校
・新井 周(あらい しゅう)さん(卓球)
両親がプロ卓球チームの監督とコーチで、滅多に両親には会えませんでした。両親に会いたい一心で、卓球選手になる事を決意し寮制の小学校に入学しました。寮生活は、とても厳しく何度もやめようと思いましたが、祖父母の支えもあり11歳でプロ選手になることができ、両親とも会えるようになりとても嬉しかったです。
その後、日本に帰化し、実業団のチームに入ることができましたが、強くなったと勘違いした結果、ランニングをサボるようになり勝てなくなりました。卓球をやめようと思いましたが、原因は自分にあると思い、苦手だったランニングを毎日欠かさず続け、日本代表になることができました。オリンピックに出たいという「夢」は、「目標」に変わり、29歳でアテネオリンピックに出場することができました。
みんなには、「夢があるのは幸せなこと」、「夢があるから頑張れる・我慢できる」、「夢を叶えるには感謝の気持ちを忘れないこと」この3つの言葉を贈りたいと思います。
◆10/25 腹赤小学校
・菊池 里江(きくち さとえ)さん(陸上)
小学生の時陸上競技を始め、リレーで全国9位になりましたが、中学生になり、負けることが嫌で陸上から逃げるようになりました。しかし、北京オリンピックに挑戦する選手をテレビで見て、感銘を受けました。その後、走り幅跳びに挑戦すると、全国大会へ出場することができ、努力したら結果が出ると自信に繋がりました。
高校最後の全国大会当日、病気で倒れ出場できませんでした。大きな挫折を味わいましたが、応援してくれていた人々に支えられ、また頑張ろうと決意し、恩返しをしたいという夢ができました。
父や家族へ恩返しがしたく、全日本大学女子駅伝の出場を目指していた矢先、父が他界し人生で一番の悲しみを味わいました。しかし、走る事で父への恩返しになると思い、父の出身地を全力で走り抜き、父への恩返しという夢を果たすことができました。
皆さんに伝えたいことは、今の自分にマイナスがあるからと夢をあきらめないでほしい。ひとつの夢が叶わなかったとしても新たな夢をみつけて目標に向かって突き進んでほしいです。挫折をチャンスとして、力に変えて乗り越えてほしいです。
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