「継続は力なりという言葉がありますように本当にそれを実感した大会でした」と大会を振り返る島川慎一選手。
パリパラリンピック決勝でアメリカを48対41で下し、悲願の金メダルを獲得。本町では、表彰式および報告会を実施し、スポーツ功績名誉表彰を授与しました。また、10月23日には県民栄誉賞の受賞が決定いたしました。
◆島川選手報告会
〜競技人生について〜
私は車いす生活になる前、スポーツに打ち込んだり、何か一つに集中するなどしたことがなく、すごく飽きっぽくて、何も続かない子どもでした。
でも、この競技を25年続けてこれたのは、車いす生活になって車いすラグビーという競技を知ったからです。
最初の頃、日本選手権に出場し、ボロボロに負けました。しかし、そこで初めて自分が負けず嫌いだと気付きました。それまでは、負けてもいいや、飽きたらやめると思っていましたが、自分が負けず嫌いだと気づいてからは負けたくない一心で25年間やってきました。
2024年のパリは6度目のパラリンピック出場となりましたが、ずっと勝ちたい、メダルがほしいと思い続けていました。リオで銅メダルを獲得した時は、メダルを持ち帰れたという安心感はありましたが、表彰式で優勝した国の国歌が流れた時、すごく悔しい思いをしました。もう一つ上へ、もう一つ上へとずっと挑戦し続けて今回のパリでようやく金メダルを獲得しました。
今回の大会の流れは、前回の東京大会同様に勝ち進み、準決勝も厳しい戦いとなりましたが、延長戦までもつれ逆転勝利することができ見事壁を打ち破ることができました。
決勝に関しては、準決勝という壁を超えてしまえば、次は絶対に勝てると信じていましたので、最終的にアメリカに7点差で勝利し、優勝することができました。
チーム内で最年長なんですけど、一番若い選手よりも動けるように努力するという目標で取り組んできてあきらめずにやり続けた結果、日本代表のメンバーの一員になれて金メダルを獲得しました。
中学生の皆さんもいろんな壁にぶつかると思います。私は中学生の時、壁にぶつかったら逃げてきた人です。でも、大人になってすごく後悔しています。なので、壁にぶつかっても一回やってみてください。やらないことには、失敗はないですし、失敗しても学びがあります。
みなさんにはいろんなことに挑戦してほしいなと思います。
本当にいろんなひとに集まっていただきありがとうございます。本当に幸せです。
●島川慎一選手プロフィール
向野区出身。六栄小学校、旧腹栄中学校卒業。
21歳の時、交通事故により頚髄を損傷。後遺症により四肢に障害が残り車いす生活に。
24歳で車いすラグビーと出会い、26歳から日本代表となり、6大会連続でパラリンピック出場。
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