■土木がまもる豊かな暮らし
災害時に真っ先に現場に駆けつける建設業者たち。
彼らの果たす使命とは-。
震度6弱の揺れが阿蘇市を襲った平成28年熊本地震。森本剛志(たかし)さん宅も大きな被害を受けました。「自宅は半壊し、家の中もぐちゃぐちゃでした」。それでも森本さんには自宅の片付けをする時間はありませんでした。森本さんは市内で建設会社を経営しており、翌日には地震の被害を受けた現場を走り回っていたからです。
被災直後は、通行ができなくなった道路を通れるよう復旧作業にあたりました。道路の復旧後は続けて亀裂の入った堤防の復旧作業へ。さらなる被害を防ぐため、梅雨を前に被災した堤防を復旧させる必要がありました。こうした復旧作業には、他の従業員も現場に駆けつけました。もちろんそれぞれが被災していました。「建設業をしている以上、それは使命ですから」。
◆建設業の使命
建設業の使命とは―。「市民の安心・安全を守ること」。森本さんは力を込めました。私たちの安全を脅かす災害は地震だけではありません。大雨が降れば倒木の撤去や道路の通行止めを示すバリケードの設置。大雪が降れば朝5時から道路のパトロールと除雪材の散布をします。大雪の予報が出れば前日から準備をするという森本さん。未明からの作業は寒くないのか尋ねると「そりゃ寒いよ」。優しい笑顔で答えてくれました。
私たちの日々の暮らしの陰で、土木に携わる人々の昼夜を問わない努力があることを知らなければなりません。
■土木と野球の二刀流に挑む
ことし9月、阿蘇地域の建設会社が設立した軟式野球チームが全国大会に出場しました。
なぜ建設会社が野球に取り組むのか。建設業界の未来に関わる深い理由がありました。
「求人を出してもなかなか若い人からの応募はなく、就職してもすぐに退職してしまう人も多くいます」。市内で建設会社を営む社長は嘆きました。社長のことばは現代の建設業界の厳しい状況を示しています。
私たちの便利な生活をつくり、豊かな暮らしを守る建設業。今、人手不足に直面しようとしています。高齢化が進む中で、若い人の採用が減っていけば、業界全体が立ち行かなくなります。
◆会社の垣根を越えた挑戦
こうした状況を打破するため、建設業界の魅力向上を図ろうと結成されたのが軟式野球チーム「ACBT(アソ・コンストラクション・ベースボール・チーム)」です。阿蘇地域の建設会社5社が共同でことしの春に結成しました。社会人になっても野球を続けたいと考える高校球児たちの受け皿になることで、建設業界に新戦力を呼び込むのが目的です。
◆仕事と野球
チームで投手を務める川上純(じゅん)さんは、市内の建設会社社員として滝室坂トンネル(仮称)の工事に携わっています。「品質・安全に気を配り、任せられた仕事には責任感を持って取り組んでいます」と話す川上さん。
川上さんは高校時代、甲子園を目指して日々練習に励んでいました。卒業後は大学で野球を続けることも考えましたが、地元阿蘇での就職を決断。今の会社に入社しました。
「高校は普通科だったということもあり、入社当初は専門的な知識がなく、現場で仕事をしていく中でとても辛い思いをしました」と振り返る川上さん。そんな川上さんを支えたのは、仲間と続けてきた週末の草野球でした。だからこそ、川上さんは野球の力に期待を寄せます。「何か楽しいことがないと仕事も辞めたくなってしまうので、野球を通じて楽しみを増やし、長く働ける建設業界になっていけばいいと思います」。
◆大きな目標
チームはことし6月の県大会で優勝すると、7月の九州大会で全国大会出場を決めるなど好成績を残しています。目標は県内に9チームしかないA級への昇格。一方で、より大きな目標についても語った川上さん。「他社の人たちと交流を深めながら阿蘇の建設業を盛り上げていきたい」
◆建設業界で働く人に聞きました
人手不足が懸念される建設業界。かつては「きつい」「汚い」「危険」の「3K」業界とされてきました。
今の建設業界はどうなのか。実際に働く人に聞いてみました。
○Interview 女性も耀ける仕事です
市内の建設会社で働き始めて2年目です。男性が多い職場ですが、その点で不安はあまり感じませんでした。実際に働いてみて、ハラスメントなどもなく女性だから働きづらいと感じることは全くありません。ICT化、省力化も進んでおり、書類作成などの事務作業もあるため女性でも活躍できる仕事だと思います。
今は砂防ダムの建設に携わっています。中学生のときに水害、高校生のときに地震を経験したこともあり、人の命を守る仕事をしたいと考えていたので、今の仕事には誇りを持っています。
谷﨑 絵美里(えみり)さん
○Interview 子どもに誇れる仕事です
建設会社の社員として北側復旧道路二重の峠トンネル工事のほぼ全ての工程に携わりました。地元でもあり、国道57号の迂廻路の不便さは自分でも感じていたので、一日でも早く通すために特に安全には気をつけました。開通後に「あそこが通ってよかった」と言ってもらえたときに、がんばってよかったと思いました。建設業の醍醐味だと思います。トンネルを通るたびに、娘に「ここはパパが造ったんだよ」と言っています。最近は娘も「ここパパつくった?」と聞いてきます。
今後ずっと誰かに語れるものを造ったんだなと感じます。
森 光康(みつやす)さん
<この記事についてアンケートにご協力ください。>