高森町教育委員会では、にわかの調査事業を実施し、令和5年度に高森のにわか調査報告書を刊行しました。広報たかもりに連載し、にわかの調査を通じて、ここが面白い、特筆すべき点を町民のみなさんに紹介します!
■第2回 踊りの名残を残し、町内をつなぐ貴重なにわか
松尾正一(元高森のにわか調査員)(元熊本日日新聞編集委員)
私は県内各地のにわかの姿や歴史を調査して高森と比較検討しました。その結果、高森のにわかは、ほかにない貴重な存在だということが分かってきました。
にわかは、明治期には県内全域で見られていました。しかし、今回の調査では高森以外に熊本市や玉名市など6地区でしか確認できませんでした。しかも、ほとんどが熊本の「ばってん劇団」などの影響を受けた喜劇形式で、青年らが移動舞台で町を巡って寸劇を披露する高森のようなスタイルはほかにありませんでした。
さらに各地の過去のにわかを調べると、さまざまな笑いの芸がにわかと呼ばれていたことが分かりました。広く見られたのが仮装姿で滑稽に踊る「にわか踊り」です。天草・高浜のにわかは、青年たちが海辺で競う「けんか神輿」のようなものでした。芦北町では、婦人たちが「嫁ごぞ嫁ごぞ」とはやして歩く「嫁入り行列」をにわかと呼んでいました。山都町・馬見原では、にわかが出る「地蔵祭そのもの」もにわかと呼んでいました。
これをどう理解すればいいでしょうか。ヒントになったのは菊池の商人が江戸時代に書き継いだ日記です。そのにわかは時代につれて「奉祝戯れ踊り」から「落噺ノ俄」、さらに「歌舞伎段物の俄」へ、つまり踊り→寸劇→芝居へと変わっていました。にわかは時代で形を変えていたのです。また、江戸中期に大坂で生まれたにわかが全国に広がる中で、もとからあった各地の笑いも、にわかと呼ばれるようになったらしいのです。
そうした視点で高森のにわかを見ると、(1)道行きや最後を締めるポーズは踊りの所作に見える(2)移動舞台は他の祭りで見られる踊り屋台に似ている―ことなどから、高森のにわかはかつての踊りの名残を残した、喜劇に変わる以前の古い演技の形を残す貴重な存在だと言えることが分かってきました。
さらに、昔ながらの若者組織が受け継いできた高森のにわかの在り方を見ていると、にわかは単に祭りをにぎわせるだけの存在ではないと気づかされました。地域の話題を、地域の言葉で、地域の人が演じて笑い合えば、自ずと地域の一体感が生まれるはずです。にわかは長年、そんな役割も担ってきたのではないでしょうか。今では全国各地のにわかはほとんど姿を消し、にわかの意味も忘れられたようです。だからこそ、高森町で昔ながらのにわかが今もあることの意義は決して小さくないと思っています。
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※詳しくは本紙をご覧ください。
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