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連載 高森にわか

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熊本県高森町

高森町教育委員会では、にわかの調査事業を実施し、令和5年度に高森のにわか調査報告書を刊行しました。広報たかもりに連載し、にわかの調査を通じて、ここが面白い、特筆すべき点を町民のみなさんに紹介します!

■第7回 風鎮祭は生きた文化財
高森のにわか調査委員会 委員長 安田 宗生(熊本大学名誉教授)

令和6年11月10日八代市桜十字ホールやつしろで開催された第66回九州地区民俗芸能大会に出演した上町向上会の「にわか」は大会の趣旨を踏まえたよく練られた内容で観客の笑いを誘って、高森にわかの本領を遺憾なく発揮して素晴らしい出来でした。上町向上会の皆さまご苦労様でした。楽しませていただきました。
さて、風鎮祭の特色や見どころについては既に高森のにわか調査に携わった各委員がこの欄で紹介しております。そこで、明治以降の変化について私見を述べてみたいと思います。
風鎮祭は現在8月盆明け直近の金・土曜の2日間にわたって開催されるようになりました。本来、旧暦7月16日から18日までの3日間でした。それが大正13年(1924)に旧暦7月17、18の2日間になりました。その理由はよく分かりません。実は明治43年(1910)に阿蘇郡の町村長会議で盆を旧暦7月から新暦8月に実施することが決議されたのですが高森町は旧暦を守り、風鎮祭も旧暦で執行され続けました。風鎮祭が旧暦7月から1ヶ月ずらした新暦8月に変更されたのは昭和33年(1958)からです。
風鎮祭は町方(町の商人)が在方(農村)へ感謝して始まったといわれてますが、それがなぜ盆会に連続する日を選んだのか、私は執行日が風鎮祭の成り立ちを考える上で重要な手がかりとなるのではないかと考えています。
藩政時代、にわかは盆に演じられる芸能でした。盆には勿論盆踊りがありました。熊本城下を始め、盆踊りはとても盛大、派手で藩は天明8年(1788)、寛政7年(1795)にも盆踊りを質素に行うよう触れを出し、ついには禁止に踏み切ります。そこで盆の後に踊る、いわゆる盆後(ぼんご)踊りが盛んになります。その代表的なものは川尻の盆後踊りでした。風鎮祭も盆後踊りの伝統に基づいて開始されたのではないでしょうか。であれば、ご先祖様と一緒に楽しむ祭りで、ご先祖様のおられる期間に小屋入りし、一夜造りでなければならなかったのだと思います。それが盂蘭盆と切り離されることによって、町民の意識が変化し、祭りの意義も異なるようになりました。しかし、風鎮祭は生き続けます。

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