■町人のまち、大聖寺
大聖寺藩政期、大聖寺は藩邸や奉行所がある政治の中心地だっただけでなく、経済の中心地でもありました。大聖寺には武士だけでなく、武器や武具を作る鍛冶屋や職人、食品などの生活必需品を扱う商人たちも住んでいました。鍛冶町や弓町、鉄砲町といった町名は、刀や弓、鉄砲を作る職人が住んでいたことに由来しています。また、魚町や木呂場町は魚屋や材木置き場がその場所に集まっていたことが名前の由来になっています。必要なものは街道や大聖寺川を使って運ばれていて、船からの荷下ろしに使っていた河道跡が江沼神社の川岸に残されています。
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