■永町と町の発展
永町は、江戸時代には菅生町の端から敷地大橋にかけて連なる長い町人町で、長町とも書かれました。町名の由来は長い町並みによると言われています。
また当時は大聖寺藩の米蔵がおかれていました。洪水が発生した際は、藩の命で吉崎村から船を一隻派遣し、救助にあたらせたと伝わっています。この他江戸時代には3度の火災に見舞われ、約65戸の家屋が焼失したという記録もあります。
度重なる水害・火災に見舞われながらも、行政や町民の力で町は発展してきました。明治時代には町民の出資により積立会社が、大正時代には県立大聖寺中学校(現大聖寺高校)の校舎が設立されました。
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