■八間道とまちの由来
大聖寺八間道は、その名のとおり八間(およそ14.5m)の道幅が由来となっています。江戸時代、大聖寺藩邸の大手門の前から京町に達する道幅が八間あったことから町名になったと言われています。延宝元年以前の「加賀国大正持絵図(かがのくにだいしょうじえず)」によると、八間道は西の古城山の東麓は藩邸、その東に藩重臣の屋敷が並び、藩政の中心を形成していたとされています。また、安政元年には藩校時習館(文学校)が開校し、同4年に有備館(武学校)が設立されました。旧藩庁が大聖寺県庁となった後も、旧藩邸跡を中心に学校や公共施設の設立が相次ぎ、今も錦城小学校がその歴史を物語っています。
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