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まちかど a street corner(239)

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石川県津幡町

■知れば知るほど熱い気持ちあふれる台湾
本年1月の「能登半島地震」は今月で2か月が過ぎ、国・県を挙げての懸命の復旧作業が続く。被災された方々への一刻も早い対応を祈念申し上げたい。
台湾は日本の九州よりやや小さく、麗しの島と呼ばれる自然豊かな島国である。十数年前、自宅近くの菜園で熱心に手入れをする方との挨拶がきっかけで、金沢市花園公民館の台湾学講座に誘われ参加、家庭料理から始まり、歴史・文化や観光と興味深く楽しいものだった。中でも八田與一技師(河北郡花園村・現在の金沢市今町出身)の知名度は絶大で、昭和5年に台湾南部の15万ヘクタールの不毛の大地を緑野に変えた烏山頭(うさんとう)ダムなどを完成させ、台湾水利の父と言われた功績と、台湾を愛した日本人としても高く評価されていることを知った。同6年、地元の民意と周囲からの意見で、工事中に見かけられた同技師が困難に一人熟考し苦悩する様子を模した座像が作られ、地面に直接設置し除幕式が行われた。同22年5月に同技師を弔う第1回墓前祭が烏山頭で開かれ、友好を深める会が発足した。これまでも日本が被災した際には、台湾から官民挙げての対応とメッセージ、善意あふれる義援金が届けられた。
平成30年2月、台湾・花蓮(かれん)県で地震があり、これまでのお返しにと同年11月に金沢で震災復興支援ツアーが企画されて自身も参加、現地の熱い気持ちを肌で感じた。
令和4年にさらなる親睦・交流および発展が目的でNPO法人石川県台湾交流促進協会が設立され、活動を開始した。
能登半島地震の際にも台湾の方々からは、医療従事者の派遣、台湾と姉妹校提携がある中能登町は、台湾の慈善団体がボランティア活動するための滞在場所を提供、今回も巨額の義援金と熱い気持ちをいっぱいいただいた。
台湾には「風雨故人来、患難見真情(困難な時にこそ、人の情を知る)」との言葉がある。両国の人々とさらなる友好の絆を深めていきたい。

▽金田信市(かねだしんいち)
津幡町横浜在住。平成25年より津幡地区民生児童委員。同26年に「金沢城・兼六園研究会」の会員。同27年から町内の小学校などで紙芝居「禁酒物語」を上演する「禁酒の学校を語り継ぐ会」、令和4年4月「つばたふるさと探偵団」のメンバーにも。
大の映画ファンで、毎年約50本を映画館で鑑賞する。

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