■HUNTER(ハンター)×Davis(デイビス)
氏名:フレンチ・デイビス・H(ハンター)
誕生日:1996年7月21日
出身:アメリカケンタッキー州
趣味:ボルダリング・ピアノ
【E-mail】kokusai@town.tsubata.lg.jp
つばた空港執筆者(町CIR・ALT)製作!
つばたイングリッシュチャンネル
■あんやと、津幡町
どうやってこの2年間を900文字で書いたらいいのでしょうか。思い出の詰まった2年間を当時の気持ちのままどうやって伝えればいいでしょうか。振り返ってみても、前に感じたことがぼんやりとしか思い出せません。すべてがいいものばかりとは言えないですが、今の私にはどれも大切な思い出です。
派遣先を初めて知ったとき、津幡町、ましてや石川県すら聞いたことがありませんでした。とりあえず本州でよかったと当時思った私は、いつの間にか津幡町でよかったと思うようになりました。
津幡町に初めて来てすぐに、前の国際交流員のヨシミさんが津幡町の好きな場所、ひまわり村や、もみの木カフェ、プラント3、ラグーンに私を連れて行ってくれました。ヨシミさんの津幡町に対する熱心さには勝てないかもしれませんが、はるばる津幡町まで会いに来てくれた家族や友達に、自分なりに津幡町の魅力を十分伝えることができたと思います。
しかし、この2年を津幡町を出ずに過ごしたわけではありません。内灘町のアカケンパーク、音ゲーのために毎週通っていた金沢市のバイパスレジャーランド、好きなバンドのライブを見に行った大阪のアメリカ村、さまざまなところでたくさんの思い出を作ってきましたが、よく考えてみるとその中心は津幡町なんです。津幡町でなかったらアカケンパークの広告が載ったフリーペーパーを見ることもなく、子どものころからずっとあこがれていたスケボーを始めることもなかったでしょう。津幡町でなかったら、ヨシミさんにも会っていなかったし、そのつながりで私が来日してからずっといい友達でいてくれたベンジャミン(内灘町外国語指導助手)とも知り合っていなかったでしょう。「それで、それで」というふうに考えてみると、津幡町だからこそ今の自分がいるということに気がつきました。
この先どうなるか分かりません。今はもうしばらく日本にいるつもりで就活をしています。仕事が決まったら、おそらく津幡町から離れることになるでしょう。離れてしまっても、ここで過ごしたこの2年を忘れることなく、いつも心から津幡町に感謝し続けたいと思います。
あんやと津幡町、ほんならね!
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