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【特集2】寒川町初!国登録有形文化財に登録へ

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神奈川県寒川町

令和5年3月17日に開催された国の文化審議会文化財分科会で、全国の建造物を国登録有形文化財に登録するよう文部科学大臣に答申された建物の中に、町内に所在する旧広田医院(主屋と門柱および塀)が含まれました。この後文部科学大臣より登録が官報告示されると、町内で初めての国登録有形文化財となります。「国土の歴史的景観に寄与しているもの」と評価された、町を代表する近代建築です。
このほかにも町内には貴重な文化財があり、将来に残していくためにもみんなで身近な文化財を大切にしていきましょう。


旧家の洋館付和風住宅。平屋建和館部分は床の間・床脇・書院等格式ある座敷を有した伝統的建築です。2階建洋館部分は1階に診察室、エックス線室、薬局など医院諸室を配し、2階は10畳座敷に巡らした縁廊下に上げ下げ窓が特徴的です。地域の医院として長く親しまれました。


前面の大山街道沿いのこの一帯はかつて寒川の中でも繁華な場所であり、寒川初の信号や床屋、郵便局などが立地していました。このころ都市近郊では洋館付住宅とよばれる和洋館を併設する住宅が普及し始め、旧広田医院も寒川における近代化のシンボル的住宅でした。


門柱および塀は大山街道に開くコンクリート造門柱と塀の基礎部分です。昭和初期の写真から洋館と同時期に建築されたと推定されます。当時は木戸があったとされ、医院の表構えにふさわしく重厚で歴史的景観を形成しています。

▽旧広田医院の歴史
明治30年:現在の和館の元となる住宅が建築される
大正15年:大正12年の関東大震災によって倒壊した住宅の2階部分を整備し現在の和館部分の住宅が建てられる
昭和4年:後の初代町長である広田孝基氏(当時は村会議員)により洋館・門柱および塀が増築される。
昭和21年:広田孝基氏の息子である広田孝平氏により洋館部分を改築し広田医院が開院
平成15年:広田医院閉院

▽父が始めた医院で、多くの人に通っていただいた想い出の実家です。この建物を維持し続けたいと思い各所に相談をしていたところ、国登録有形文化財への登録を勧められました。建物を残す機会をいただき、本当にうれしいです。これまで、お世話になった皆さんには、心から感謝しています。ありがとうございます。
(村田さん広田孝平氏の長女)

▽子どものころ、具合が悪くなると行っていた医院です。受け付けの小さい窓を先生の奥さまが開けて薬を出していて、秘密の扉みたいだったことを覚えています。外観はゴシック様式で、素敵な雰囲気のある建物です。敷地内は魅力に溢れており、それが国に登録されるかもしれないと聞き、とてもうれしいです。町内の観光ガイドツアーに取り入れ、町内外の人に旧広田医院の魅力を伝えていきたいです。
(泉さん(一社)町観光協会)

個人宅のため敷地内へは立ち入り禁止です。


平成8年10月に施行された法律により、保存および活用についての措置が特に必要とされる文化財を文部科学大臣が文化財登録原簿に登録する制度です。届出と指導助言を基本とする穏やかな保護措置を講じるもので、従来の指定制度(許可等の強い規制と手厚い保護)を補完するものです。また、文化財のうち建造物、彫刻、工芸品などの有形の文化的所産で、我が国にとって歴史上、芸術上、学術上価値の高いものを総称して「有形文化財」と呼んでいます。

※詳しくは本紙6~7ページをご覧ください。

問合せ:教育政策課
【電話】74-1111(内線513) 社会教育担当

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