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鳥居 陽生(はるき)選手インタビュー〔第二の人生で さらなる夢に向かって〕

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神奈川県小田原市

◆〈interview(インタビュー)〉
鳥居 陽生(はるき)選手インタビュー
〔第二の人生で さらなる夢に向かって〕

《第二の人生のプレーボール》
甲子園を目指していた高校1年の冬、視力が低下する「レーベル遺伝性視神経症」を発症し、目標を失いかけていたところ、当時所属していた野球部のトレーナーから、ゴールボールという競技を教えてもらいました。ボールを投げるフォームやバッティングでの下半身の使い方など、野球と似ている部分が多く、競技を始めやすかったことや、チームで戦術を立てプレーするところに魅力を感じ、どんどんのめり込みました。

高校2年の冬から本格的に競技を始めましたが、高校時代は恩師の計らいもあり、野球部に所属しながらトレーニングやゴールボールの練習をさせてもらっていました。視力を失い始めたあの時期に野球部のメンバーといられたから、第二の人生をゴールボールでスタートできたのだと思います。そう考えると、原点となった野球に出会っていなければ、今の僕はゴールボールをしていなかったかもしれないですね。

《初めてのパラリンピック競技大会》
最初のリーグ戦は、2連敗からのスタートでしたが、中国戦は、今まで大差で敗北したところを1点差にまで詰めることができたこともあり、不思議なことにチームは「負けた」というよりも「次は勝てる」という雰囲気でした。それが現実となって、準決勝で再戦した中国に勝利することができました。

僕は、伸びるバウンドボールや移動攻撃、コート内を縦横無尽に動くプレースタイルを武器に競技していますが、特にエジプト戦は、その武器を生かして点を取ることができた試合だったので印象に残っています。ゴールが決まった時に浴びた360度の歓声には興奮しました。

ゴールボールは、アイシェードで視界を遮断した3人がボールを投げたり止めたりするので、チームワークが大事な競技です。競技を始めて3年と経験が浅い自分を代表に選抜していただき、日本代表チームには、本当に感謝しています。今回の大会では出場時間が決して多くなかったのですが、決勝で勝利してチームメート全員で表彰台に上り、金メダルを首に掛けてもらった時のメダルの重みや光景は、一生忘れないです。

《「0」を「1」に、そして「1」を大事に》
今回のチームで僕は最年少でしたが、これからはもっと勝利に貢献できるようなプレーヤーになって、4年後のロサンゼルス大会では連覇に向けて自分がチームを引っ張っていきたいです。

野球でピッチャーをやっていた時、1球で試合の流れが変わっていくのを何度も経験したことから、一球一球を大事にしてきました。そのころから、僕の中で「1」を大事にしています。「0」と「1」では全く違います。今後も何か目標を持ったときは、その瞬間からまず動き出し「1」を見いだし、とことん突き詰めていきたいです。

【WEB ID】P38839
問い合わせ:スポーツ課
【電話】0465-38-1149

◆〈interview〉
第20回冬季デフリンピック競技大会トルコ・エルズルム2023
アルペンスノーボードパラレル大回転 女子6位に入賞
岡 奈々花選手

耳が聞こえない人のためのオリンピック「デフリンピック」。
令和6年3月の大会では、本市在住の岡奈々花選手が6位入賞と活躍しました。「デフリンピック」や「アルペンスノーボード」に対する思いを聞きました。

スノーボードに出合ったのは6年前。一枚の板に両足を固定し、バランスを取って速く滑るアルペン競技の魅力に引かれました。
通常、私たちは耳が聞こえる選手と同じ大会に出場し、競技を行います。スタートでは、耳が聞こえない私にとって、ランプの合図が頼りになりますが、ランプを見るために目線を上げなければならない分、反応が遅れてしまいます。それでも、競技を始めておよそ1年と経験が浅い中で挑んだデフリンピックでは、トレーニングと練習を積んだ日々と、周囲からの応援があったからこそ良い結果を出せたと思います。
アルペン競技は、一歩間違えると命に関わります。だからこそ、自分の限界を知った上で成長したいと思っています。いずれは、ろう者では珍しいプロのアルペンスノーボード選手になって、もっと多くの人たちにこのスポーツの魅力を伝えていきたいです。

【WEB ID】P39177
問い合わせ:障がい福祉課
【電話】0465-33-1468

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