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きてみて!博物館

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神奈川県平塚市

◆成瀬酢(なるせす)の酢甕(すがめ)
慶長元(1596)年、徳川家康は相模国大住郡(さがみのくにおおすみぐん)中原村に中原御殿を造営しました。現在の平塚市立中原小学校がほぼその敷地に当たります。家康は江戸と駿府や京都との往復の際に中原御殿に滞在し、しばしば鷹(たか)狩りをしました。
ある時、中原代官成瀬五左衛門(ござえもん)が中原御殿前で酢屋を営んでいた佐藤金右衛門(きんえもん)方の酢を家康に献上しました。家康はこの酢を大変喜び、以後、将軍家御膳御酢(ごぜんおす)として献上されることになりました。このことから中原で醸造される酢は「成瀬酢」と呼ばれました。また、江戸城と中原御殿を結ぶ中原街道は成瀬酢が御膳酢(ごぜんす)として江戸城へ運ばれる道でもあったため「御酢街道(おすかいどう)」とも呼ばれました。
成瀬酢は17世紀末の食物の事典『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』に「近代では相州の中原の成瀬氏で造られるものが第一等」と評価され、名酢として知られていました。その味は「異香奇味(いこうきみ)あり、他の企て及ばざる所」とされ、他ではまねのできない独特の味と香りがあったようです。しかし将軍家への献上は享保(きょうほう)8(1723)年に廃止され、天保(てんぽう)期(1830~1844)には成瀬酢は造られなくなってしまいました。
この成瀬酢の醸造に使われたと伝えられる甕(かめ)が、2階の常設展示室にあります。
16世紀に制作された常滑焼(とこなめやき)の甕で、実際には口を地面より高くした状態で土の中に据え、蓋(ふた)をして酢を醸造したといいます。家康が愛した名酢の名残。ぜひご覧ください。

問い合わせ:博物館
【電話】33-5111

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