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きてみて!博物館

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神奈川県平塚市

◆平塚空襲の焼夷(しょうい)弾
昭和20年7月16日深夜から17日未明にかけて、B29爆撃機133機による空襲を受けた平塚市と近隣町村。362人以上の犠牲者を出しました。
アメリカ軍の「作戦任務報告書」によれば、この空襲で投下された焼夷弾はM47焼夷弾とM50焼夷弾の2種類。M47焼夷弾は直径約20センチメートル、長さ約1・2メートルの爆発性の焼夷弾です。弾体にゼリー状の焼夷剤(ナパーム)を充填(じゅうてん)し、着弾すると爆発して燃えるナパームを周囲に飛散させました。M50焼夷弾は直径約5センチメートル、長さ54センチメートルで、着弾すると弾体内部の酸化鉄とアルミニウム粉末の酸化還元反応により生じた高熱で、外側のマグネシウム合金製の本体を発火させ、周囲を燃やしました。平塚空襲で投下された焼夷弾はM47焼夷弾が6951本、M50焼夷弾が40万6010本と記録されています。
ただ、投下されたのは焼夷弾本体だけではありませんでした。M50焼夷弾は110本ごとにM17集束弾に束ねられて投下されました。その数3691本。投下されたM17集束弾は上空1500メートルで散開し、内蔵するM50焼夷弾を雨のように降らせました。上空で散開するM17集束弾の部品も凶器として地上に降り注いだのでした。実際に空襲体験者からは焼夷弾だけでなく、これらの部品の直撃による犠牲者の証言も聞かれています。
焼夷弾などは、常設展示室や、7月23日(日)まで寄贈品コーナーで開催中の「平塚空襲展」で展示しています。

問い合わせ:博物館
【電話】33-5111

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