海、港、緑、歴史、地域、人々、さまざまな魅力を持つ都市横浜。この街の彩りを「よこはま彩発見」としてお届けします。
今回は作家の山崎洋子さんに横浜中華街(中区)について寄稿していただきました。
■「中華街・華やぎの秘密」
作家 山崎 洋子
遠来の友に「あなたが一番自慢したい『横浜』に案内して」と請われ、迷わず中華街に決めた。横浜通みたいな顔して、そんなあたり前の観光地へ? と言われそうだが、いやいや、私が案内したいのは美味しい料理とアジアン雑貨だけではない。この町の成り立ちを知り、より味わい深いひと時を楽しんでほしいのだ。
幕末、日本は長い鎖国を解いて開国した。素朴な横浜村がその玄関口に選ばれ、異国の人、物、文化が雪崩を打って上陸。国際都市へと急変貌した。とはいえ問題は意思の疎通だ。言葉の壁は大きい。
そこで大活躍したのが、当初、欧米人の使用人として渡日した中国人。日本とは「漢字」という共通言語がある。加えて彼らには「華僑」という生き方がある。生まれは中国だが、外国へ渡り、そこに根を下ろして生きる人たちをそう呼ぶ。彼らは東洋と西洋、両方に精通している。活躍の場は通訳だけではなかった。海外貿易のルールから西洋の進んだ産業技術まで、日本人に伝授。欧米諸国、日本、どちらにも欠くべからざる存在になり、その人数も増えていったのである。
華僑は根を下ろした国に自分たちの居住区を作る。それがチャイナタウンだ。わが横浜中華街は、世界でもっとも華やかなチャイナタウンとして知られている。だが歴史を振り返れば、決して安穏な歩みではなかった。日清戦争、日中戦争の際は、敵国の真っただ中で生きることを余儀なくされた。それでもこの街の灯が消えることはなかった。それどころかさらに輝きを増している。なにがあろうと、私たちはこの街を愛しているのだ。
実は意外と知られていない歴史の一場面がある。明治5(1872)年、日中間どころか国際社会を揺るがす大事件が横浜で勃発した。驚きに満ちたその詳細は、右上の二次元コードからどうぞ。
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◇山崎 洋子(やまざき ようこ)
1947年、京都府生まれ、横浜市在住。第32回江戸川乱歩賞受賞。『横浜開港絵巻 赤い崖の女』『横濱唐人お吉異聞』『天使はブルースを歌う』など横浜を舞台にした作品多数。
問合せ:政策局広報課
【電話】045-671-2331【FAX】045-661-2351
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