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都筑区に関する歴史コラム 第10回

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神奈川県 横浜市都筑区 クリエイティブ・コモンズ

◆都筑区の戦国時代 北条氏光朱印状写(ほうじょううじみつしゅいんじょううつし)
横浜市歴史博物館 阿諏訪 青美(あすわ はるみ)

都筑区を含む横浜市北部は、戦国時代に小田原北条氏によって支城・小机城(港北区)の管轄下になりました。この小机城の4代城主北条氏光が山田郷を所領とした地侍(じざむらい)・大嶋因幡守(おおしまいなばのかみ)へ宛てた古文書の写しが伝わっています。
内容は、(1)小机衆のうち曽根外記(そねげき)の配下だった大嶋氏を氏光の直属とし、(2)15貫文(かんもん)の所領を与えるので、(3)出陣には武士らしく装備を整えて奔走せよ、というものです。氏光は2代小机城主氏堯(うじたか)の息子で、26歳前後で城主に就きました。古文書が出された頃、北条本家は5代当主の氏直(うじなお)になって政務が本格的に始動し始めており、氏光の率いる小机衆の編成替えもその一部だったのでしょう。
いっぽう大嶋氏とは地域を代表して戦国大名勢力の末端に位置づき、所領に応じて軍役を務める地侍で、大嶋氏に与えられた15貫文とは、軍役に際して騎乗する当主の他に、1人か2人を連れて参陣する程度の、比較的小さな貫高(かんだか)だったようです。やがて天正18年(1590)に小田原北条氏が滅亡すると、大嶋氏は山田村の名主の一人となり、家を繋いでいきました。
この古文書はその約260年後の嘉永(かえい)4年(1851)に、因幡守の子孫が親戚をたどり、請い受けて写したものです。戦国の記憶が薄れた江戸時代末に、改めて自身の先祖の功績を顧みようとしたのでしょう。

天正12年(1584)3 月13日「北条氏光朱印状写」
(大嶋家文書) 横浜市歴史博物館蔵
※下部に書写年(嘉永4年(1851))の日付とその由来を記す

問合せ:横浜市歴史博物館
【電話】912-7777【FAX】912-7781

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