■「餅の思い出」
幼い頃から、12月に入ると憂鬱(ゆううつ)だった。それは、毎年暮れには、家業の餅菓子屋のちん餅の手伝いが控えているからだった。今と違って、餅は正月しか食べられなかったから、各家庭からの注文も多く、一日300枚以上ののし餅を、早朝から深夜まで家族総出でやるのだから大変だった。子供の頃から、もち米を運び、研ぎ、手返し等は、自分と弟の仕事だった。体力的にもきつかったが、何より緊張するのは、お供え餅を作る時だった。直径50センチ以上のお供えを、職人気質の親父が上手に丸めるのだが、餅は、直ぐに冷まさないと割れてしまう為、弟と二人で、必死に団扇(うちわ)をあおぐのだ。しかし、運悪くヒビが入るようなら、親父の顔色が変わり、失敗作の餅を投げつけられる。その度に、投げられる餅を巧みに避けながら、「何でこんな家に生まれたんだろう…」と恨んだものだった。毎年、餅を食べる度に、あの辛さを思い出すが、そのおかげで現在でも、餅の手返しだけは自信がある。
横須賀市長
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