ことしの干支(えと)「巳(み)」に合わせ、市内に点在する史跡や文化財などを詠(よ)んだ「海老名郷土かるた」から、「み」の札にまつわる話を紹介します。由来の場所に、歌が書かれた擬木柱(ぎぼくちゅう)があります。
■三島社(みしましゃ)の 不動明王(ふどうみょうおう) いかめしく
▽三島社
祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)です。武者姿の絵のご神体は、昭和23年の火災で焼失してしまいました。かつて三島社を管理していた正明寺の不動明王2体が、お堂の中に安置されています。
ご神木だったツキの木は残っていませんが、周囲が8・5メートルほどあった幹の空洞に大蛇が住んでいたとの伝承があります。神社の裏手には、自然緑地保全樹木に指定されたマキの大木があります。
擬木柱所在地:社家2-13-1、三島神社参道看板付近
■「海老名郷土かるた」ダウンロード版
市ホームページに印刷用ファイルを掲載しています。印刷・作成してお楽しみください。作り方は市ホームページをご覧ください。
■神木にまつわる昔話「三島社の神木と大蛇」
社家の三島社の境内に、ツキの神木がまっすぐにそびえていました。神木の周囲は約12メートルもありました。神木は、すでに千年もたっていて、その根元には大きな空洞があいていました。
いつしか、そこに大蛇が住みつき、近くを通る生き物を食べてしまうので、大変、村人に恐れられていました。神社の近くには「ダブ」のような大きな池がありました。周りは、竹やぶに囲まれて昼でも気味の悪いところでした。しかし、池の中心に向けて一本の板の橋がかけてあり、近くに住む人の洗濯場となっていたのです。
ある日のことです。近くの農家のおかみさんが、この池に洗濯に行くといって家を出ましたが、夕方になっても帰ってきません。家の人が心配して探しに行くと、おけと洗濯物だけが置いてあり、姿は見えませんでした。
「池に落ちて死んでしまったのか」と池の底を探したのですが見つからず、たちまち村中が大さわぎになりました。それは、前にあの大蛇が人を食べようとした、という噂(うわさ)が立ったことがあるからでした。そのため、村人はおかみさんが大蛇に食べられてしまったと信じてしまいました。
この事件があった同じ年の6月15日、奇跡のような信じられないことが起こりました。その日、空は晴れ、風もない真っ昼間、突然神木が火を噴き始めたのです。
中に住みついていた大蛇はたまったものではありません。すぐに焼け死んでしまいました。村人は、「これはきっと天の神様が、人を食い殺した大蛇の行いを憎み、お怒りのあまりなさったことであろう」と思いました。このとき、焼けた跡から出た大蛇の骨は、4斗だる、現在でいえば18リットル入りのたるに4杯もあった、といいます。
(こどもえびなむかしばなし第1集より。第1~4集を中央・有馬図書館で貸し出し)
※原文を参考に一部編集しています。
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