■景色は変わっても、人と歴史は変わらない
相川時雄さん(池子)
市制施行の70年前は中学校1年生でした。小学生時代はまだ池子小学校がなく、逗子小学校まで京急神武寺駅から電車で通学。当時は住宅も人も少なく、上級生に遊んでもらっていて、今でも「〇〇ちゃん」と下の名前で呼び合う仲です。
市内にあった映画館で時代劇を観たり、逗子海岸の混雑を避けて現在の葉山マリーナ付近で泳いだり。池子神明社の神輿渡御(みこしとぎょ)は威勢がよく、祭りが楽しみでした。神輿の損傷と担ぎ手不足で廃止していた神輿渡御を、仲間と神輿保存会を立ち上げ2003年に復活。こうして歴史が引き継がれていくとうれしいです。
■商店街の思い出は、昔も今も、これからも
橋本祐希さん(逗子)
1990年まで、祖父が逗子の銀座通りで「松林堂書店」を営んでいました。「立ち読みしていると、はたきではたかれる店」として、記憶に残っている人もいるかもしれません。AV機器やゲームソフトも販売していて、ドラゴンクエスト発売日には深夜から長蛇の列ができたことを覚えています。
好きだった和菓子店やおもちゃ屋さんなど思い出の中には今はないお店も。寂しさもありますが、新しいお店やイベントなどで、今でも逗子の商店街を楽しんでいます。これからも活気のあるまちであってほしいです。
■大好きな逗子で、自然と友と過ごした20年
須田歩美さん(桜山)
小さい頃の遊び場所は、主に田越川と逗子アリーナです。学校からの帰宅後、すぐに友達と集まっていました。
田越川では、カニを探したり、ハゼを捕まえたり、カメやヘビを見つけたり。日が暮れるまで遊んでいました。天気が悪い日は、逗子アリーナで卓球やバスケットボールなど体を動かす遊びを。また、週に1回の卓球教室に通い、地域の人とも交流していました。
1月には「二十歳を祝うずしの集い」に出席。逗子の自然に囲まれ、友達と共に多くのことを学んだ20年間は、忘れられない思い出でいっぱいです。
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