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写真と手記からみるその時の鎌倉

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神奈川県鎌倉市 クリエイティブ・コモンズ

大正12年(1923)9月1日、相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9と推定される地震が関東南部を襲いました。被害は鎌倉町で4183戸中、全半壊3004戸・津波流失113戸・火災全半焼445戸、死者412人、山ノ内を含む大船では全半壊530戸、腰越津村や深沢村でも大きな被害がありました。
参考資料:
・新版『鎌倉震災誌』平成20年 NAMAZUの会刊
・『鎌倉震災手記』平成29年 鎌倉市中央図書館刊

■建物倒壊 鎌倉町役場
「南の方から数回遠雷を聴くような異様な地鳴りがした直後壁や窓ガラスにすさまじい衝動を感じ、続いて強烈な上下動の大地震が起った。その際、役場庁舎は南方にいきなり倒壊し、土蔵も粉砕した。(略)」(新版『鎌倉震災誌』より)

■鎌倉駅傾斜・駅前火災
「(略)。駅本屋(ほんおく)は東南に約30cm傾斜し、壁は剥落(はくらく)し窓ガラス戸も破砕した。(略)避暑客の引上げの時期にあたり、駅待合室などには約100名の乗客がいて混雑しており、第1震と共にみな屋外に脱出した。(略)駅前の民家では倒壊と同時に数ヶ所から発火し、南強風に煽(あお)られてたちまち付近一面が火の海と化し駅舎は煙に包まれた。」(新版『鎌倉震災誌』より)

■津波
「(略)浜辺にあった船は、一挙に波にのせられ、ぜんぶが、川のなかへはいって、奥まで、あっというまに運ばれてきた。

大きな津波のこわいのは、寄せてくるときよりも引くときである。(略)川の奥まで運ばれてきた船が、どーっと津波がひいていったときに、あっというまにこなごなになってしまった。(略)津波の引き波が、なにもかもを打ちくだき、ぐーっと引いていったあと、驚いたことには、腰越から江の島までの海がなくなってしまった(略)」(岩田鶴松/『鎌倉震災手記』より)

■崖崩れ
「(略)街道は家が倒れてゐ(い)るので横須賀線の鉄路を選んだ。(略)鎌倉七切通の一つの巨福(こぶく)坂に差しかゝ(か)ると両側の山から崩れた土石で道はない。恐らくこの下に牛車、馬車が人と共に埋つていると思い、(略)雑木をかきわけ念仏を唱えながら通つた。(略)」(稲垣順造/『鎌倉震災手記』より)

■教育機関・町立鎌倉小学校など
「(略)小学校は第2学期の授業始めで、午前中に式も済み帰宅した。(略)町立鎌倉小学校を始め、師範学校及び附属小学校、鎌倉高等女学校等校舎はすべて倒壊した。(略)9月20日を過ぎ状況がやや安定したので、(略)25日から5ヶ所で林間授業を開始した。尋常1・2年:海岸通り芳川(よしかわ)伯爵別邸内の松林(略)」(新版『鎌倉震災誌』より)

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