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私たちと文化財295

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神奈川県鎌倉市 クリエイティブ・コモンズ

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■大倉幕府の門跡か
今回は、横浜国立大学教育学部附属鎌倉小・中学校の校地内で実施している、発掘調査の成果を速報的にお知らせします。

一昨年度から同校地内で、埋蔵文化財の発掘調査を実施しており、大倉幕府に係る可能性がある遺跡が発見されています。大倉幕府とは、いわゆる鎌倉幕府の一時期の呼び方で、現在の雪ノ下三丁目一帯の大倉地域で、源氏3代が屋敷を構えて、政治を行っていたと考えられています。
これまで、大倉幕府の範囲は、南は六浦街道、西は西御門川、東は東御門川、北は頼朝の法華堂の前を東西に走る路地で囲まれる範囲と考えられてきました。これまでもこの推定範囲で小規模な発掘調査は実施されていましたが、建物の規模などが分かる事例はありませんでした。
今回、この校地内で下水道の改修工事に伴う発掘調査を実施したところ、南北に延びる柵の跡と道路跡が並行して発見されました。さらに、その柵に重複するように直径1メートルを超える大型の柱穴が5個発見されています。柵と並行することから、この大型の柱穴は門の跡と考えられています。
この遺跡からは中国産や国産の陶磁器や、かわらけと呼ばれる土器などが出土しており、それらの年代から、鎌倉時代の前半と推定されています。
もし、この鎌倉時代前半と推定される柱穴が門の痕跡であれば、大倉幕府の西の門である可能性があり、現在も残されている「西御門」の地名の由来となったと推定されます。大倉幕府の建物の可能性があり、具体的な規模が分かる遺構としては初めての発見であり、鎌倉の歴史を語る上で貴重なものです。
これらの成果は、現地説明会や鎌倉歴史文化交流館の発掘調査速報展「新出土!!鎌倉に残された足跡(そくせき)!!」(8月31日まで開催)、鎌倉市遺跡調査・研究発表会で公開しました。また、今年度末刊行の『鎌倉の埋蔵文化財27』でもお知らせする予定です。
[文化財課]

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