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ふるさとを訪ねて~地域文化を掘り起こそう~(64)

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福井県勝山市

市史編纂室 山田 雄造

■勝山精華高等学校 その二
名称は高等女学校ですが文部大臣の認可する高女卒業の資格がなかったため、昭和19年(1944)、請願を重ねた結果高女卒の認可が下りました。しかし戦局が厳しくなって学徒動員が始まり生徒は兄弟会社などに出勤し、学校は落下傘などを制作する藤倉産業に接収されます。
20年8月15日終戦にともない生徒は学校に復帰し9月中旬から授業が再開されました。21年3月第1回の卒業式で98名が卒業し、5月には働きながら学ぶ二部の設置が認められます。修業年限4年の事実上の定時制の出発となったのです。
22年教育基本法が制定され学制改革で6・3・3・4制となり新制中学が設立されます。精華にも併設中学が設けられ女学校は募集を停止しました。設備が整っていたこともありこの年は入学生が200名を超えました。ただ翌年から新制高校が出発することになっていたこともあり併設中学はこの年限りでした。22年から23年にかけては学制改革の影響で当校では、当校に残る者、他校に転校する者など混乱を極めました。
勝山に最初の県立高等学校を設立することに関して、精華に移管するとの案もありましたが、結局は全日制の勝山高校と私立の定時制高校が作られることになりました。当校は23年校名を「財団法人勝山精華学園・福井県勝山精華高等学校」とし、「働きつつ学ぶ」学校として出発することになります。こうして半日交代システムが導入されることになりました。A班が午前7時30分~正午まで学校、午後1時~5時30分は工場とすると、B班はその逆となります。
24年になり初めて男子生徒を募集することになり、200名の定員に300名を超える志願者がありました。こうして男女共学の学校として再スタートを切り、部活動も盛んとなり勉学にも好結果が生まれてきました。

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