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さかい風土記150 明治時代の新しい町や村

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福井県坂井市

■現在も残る地名が生まれる
明治時代、当時の政府は新しい地方制度を導入して、全国の多くの町や村々をまとめていきました。明治21年(一八八八)に「市制」「町村制(ちょうそんせい)」が公布、翌年に施行され、旧坂井郡にあった約390の町村は、新しく3つの町と27の村に合併・統合され、そのうち現在の坂井市域では三国、丸岡の2つの町と17の村が成立しました。
市制・町村制の公布にあたり、福井県でつくられた『新村撰定事由調(しんそんせんていじゆうしらべ)』という簿冊があります。それには県による合併と新しい町村案や、町村名を選んだ理由などが書かれています。
当時の政府が示した指針に、複数の町村が対等合併した場合は、お互いの旧名称を参考にして取り合わせるようにとあり、それぞれの地名の頭文字を合わせて、新しい名前がつけられました。2つの頭文字を合わせた地名は今も全国にあり、坂井市域でも、古い地名の春近郷と江留の頭文字を合わせた「春江村」、同じく大口郷や関郷などを合わせたとされる「大関村」、また村内の大牧と石塚を合わせたとされる「大石村」が、このとき生まれました。
また同書には、県が考えていた「西十郷村」という村も記載されています。これは現在の坂井市坂井町の一部とあわら市の南部にまたがるもので、十郷用水流域の西側にあることから名づけられました。結局は地域での意見の対立もあり、「大関村」や「本荘村」ができて、「西十郷村」は幻に終わりました。
明治22年にできた旧町村は、昭和時代の合併で三国、丸岡、春江、坂井の各町になり、平成時代の合併で坂井市になります。しかし、明治時代に生まれた町村の名前は、現在でも小学校区やコミュニティセンターの管区、また地域名として残っており、子どもたちの成長、住民たちの活動母体として、今でも機能し続けているのです。

▽明治22年に生まれた新しい町村(現在の坂井市域)

※上表の加戸村、大石村、大関村、本荘村の名前の理由は推定

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