福井の昔の写真を、学芸員の解説を添えて紹介します。
■田原町にあった福井の台所
福井の卸売市場の起こりは古く、江戸時代にまでさかのぼります。魚町、米町(現在の順化2丁目)に、魚や米、青果を扱う問屋が集まり、福井城下の食卓を支えていました。この地域が卸売市場の機能を果たす状況は、明治以降も続きました。
昭和20年代になると、市の都市計画が進み、街路上で取引が行われている状況は衛生的に問題があり、交通の妨げにもなるということから、市営市場を市街地周辺地区に整備して移転する計画が立てられます。
こうして昭和31年に、現在フェニックス・プラザ(田原1丁目)がある付近に開設したのが、田原町卸売市場です。
敷地面積は1万3498平方メートル、当初の店舗数は、水産物、青果、乾物など合わせて183店ありました。青果に約1200人、水産物に約350人の買出人が出入りし、約40万人の市民の食生活を潤しました。
開設当時は北陸随一の規模と設備を誇った田原町卸売市場でしたが、毎日買出人が殺到して混雑を極めたことや、車社会の到来などにより取引面の不都合も生じてきたため、再び移転が計画されます。そして昭和49年、大和田町(現在の大和田1丁目)に完成したのが、現在の福井市中央卸売市場です。
田原町卸売市場をふかんした写真。右手の奥に見えるのは市営体育館(昭和49年)
大根などの青果が並ぶ場内の様子(昭和49年)
魚市場の様子(昭和45年)
※写真の詳細は、本紙またはPDF版19ページをご覧ください。
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