福井の昔の写真を、学芸員の解説を添えて紹介します。
■幸いなるかな幸橋
福井市街地を流れる足羽川には、九十九橋と幸橋という大きな橋が架かっています。九十九橋(別称「福井大橋」)が安土桃山時代に柴田勝家によって架けられたとされるのに対し、幸橋が架けられたのは江戸時代の終わりのこと。足羽川左岸の毛矢に居住する武士が登城するための繰舟渡(くりぶねわたし)(*)が設置されていた場所に、文久2(1862)年、由利公正の発起によって橋が架けられました。このとき公正が「幸いなるかな」と喜んだことから「幸橋」と名付けられたとされます。九十九橋に対して、新たに架けられたことから「新橋」とも呼ばれました。
明治38年には足羽川の川幅が広げられ、長さ約50mだった幸橋は約130mの橋に架け替えられました。また大正9年には幸橋を通る道路が国道となり、九十九橋を通る県道に代わって、福井市街地のメインルートになっていきます。昭和5年には鉄筋コンクリート造りの橋に架け替えられて、幅員は4mから16.7mに広げられました。昭和8年には、その上を福武電気鉄道(現・福井鉄道)が走るようになりました。現在の幸橋は平成19年に完成したものですが、その欄干や親柱などは、昭和初期のデザインを踏襲して作られています。
*川の両岸に綱を渡し、人馬でたぐり寄せて渡る渡し舟
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