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ふるさと昔 よもやま話(136)

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福井県美浜町

【“道の駅”今昔語り】
去る6月2日、道の駅若狭美浜はまびよりが国道27号沿いにオープンし、美浜駅前への注目が集まっています。そこで今回は〝道の駅〞という視点から歴史をひもといてみたいと思います。
まず、道の駅とは、ドライバーの休憩とともに地域の情報発信や地域振興機能を有し、国土交通省に登録された施設です。社会実験を経た平成5年の制度発足にあたり、登録された道の駅は103駅でした。そこから30年を掛け普及した結果、現在はまびよりを含め、全国で発足当初の10倍以上となる1,204駅が登録されています。
ところで、現代において駅といえば、鉄道の停車場を指しますが、鉄道がなかった時代の駅は道に置かれる施設であったことはご存じでしょうか。古来、街道沿いに設けられた宿舎や厩(うまや)等は駅と呼ばれていたため、古来の駅は道の駅であることが当然だったのです。
では、美浜の地にこの駅が設置されたのはいつ頃なのでしょうか。
日本史上における駅整備の端緒は7世紀半ばに朝廷と地方の交通を実現するため、道の開削と併せて行われたとされており、原則として30里(約16km)毎に駅家(うまや)が設けられました。
この駅家は、身分の高い人物や公用の使者である官使等、許可された者のみが利用でき、宿や食事が提供されました。また、駅馬(えきば)が置かれ官使は、駅毎に馬を乗り継ぎながら重要な情報等を運びました。
10世紀に編纂(へんさん)され、当時のさまざまな事柄が記されている法典「延喜式(えんぎしき)」によれば、若狭国には北陸道に沿い弥美駅と濃飫(のお)駅が置かれ、それぞれ5頭の馬が配されていました。弥美駅の所在地については、郷市、河原市、木野、中寺等、複数の説が提唱されており、残念ながら特定には至っていませんが、現在のはまびよりから遠くない位置に古代の駅が置かれていた可能性は高いのではないでしょうか。
また、時代が下ると若狭の街道は北陸道から分かれ、丹後街道として若狭国の幹線道路に相当する役割を果たしました。江戸時代においては、小浜藩主は丹後街道から敦賀を経由して、江戸に向う参勤交代を行いました。
そして、近現代に至ると丹後街道に準じる形で国道が整備されることとなったのです。このように、27号の沿線地域は大変長らく当地における交通の要であったと考えられ、数多の人々が旅の途中に、駅や街道に沿って開かれた市で英気を養ったことでしょう。
この在りし日の光景が、はまびよりの賑わいに姿を変えて戻ってきたことは歴史の必然なのかもしれません。
(美浜町歴史文化館)

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