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ふるさと昔 よもやま話 (151)

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福井県美浜町

■日本遺産構成文化財紹介~丹生金毘羅神社伝来船絵馬~
町歴史文化館では、11月7日から日本遺産認定の原動力となった北前船の歴史を示す構成文化財を紹介する記念展示「美浜に残る北前船の波跡その弐」を開催しています。
今回は展示品の中から、丹生の金毘羅神社に伝来した「船絵馬」をご紹介します。
丹生金毘羅神社は、集落の東側に位置する山中の開けた高台に鎮座しています。麓から山道を進み、急な石段を登ると石鳥居が現れ、更に足を進めると同神社の本殿である小さなお堂があります。
金毘羅神社に奉納された三枚の絵馬は、麓に位置する龍渓院(りゅうけいいん)薬師堂に移された後に、本町に寄贈されました。
この3枚の絵馬はおおよその構図を同じくしており、中央に描かれているのは弁財船(べんざいせん)と呼ばれる一枚帆の和船です。また船上には船乗りたちの姿もあります。
この絵馬から読み取れる歴史は多く、それぞれ奉納者の名前と住んだ村名や船名に加えて奉納された年号が墨書されています。
中でも最も古い年紀を持つのは「享和丸」を描く絵馬です。櫛川村(敦賀市)の長助がこの絵馬を奉納したのは、現在から約220年前に当たる享和2年(1802)の事でした。管見の限りでは、県内において18世紀以前に遡る年号が記された絵馬は確認できず、「享和丸」の絵馬が県内最古級の船絵馬と見ることができます。
背景に目を移すと、鳥居や三角屋根の本宮に高燈篭が見え、船乗りから信仰を集めた大坂住吉神社の風景が描かれています。当時大坂の名産品の1つが船絵馬であり、この絵馬も大坂で作られたと考えられます。
「絵馬」という字の通り、馬の絵を神仏に奉納する文化は古くから行われていましたが、馬の代わりに船を描くことが盛んとなるのは、やはり日本海交易が活発となった江戸時代以降の事でした。
北前船による各地の港での商売に成功すれば、巨万の富を得ることができました。一方、時には荒れ狂う日本海を木造船で渡る航海は、まさに命がけでした。船が難破した際、幸い命は助かったとしても、失った船と積み荷の損失は避けられません。そこで、船乗りたちが海上安全の願いを込めて奉納する船絵馬の需要が高まり、大坂産船絵馬が日本各地で数多く販売されました。
金毘羅神社に伝わった絵馬群も、この世相の中で奉納されたと思われます。また、他の日本遺産構成文化財からも、北前船に関わるさまざまな歴史を読み取ることができます。
今回の記念展示は令和7年3月2日まで実施していますので、是非、北前船ゆかりの文化財を間近でご覧いただけましたら幸いです。
(美浜町歴史文化館)

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