■福井県美浜町 日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」に認定
▽日本遺産とは
地域の歴史的魅力や特色を通じて、我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。ストーリーを語る上で欠かせない、魅力あふれる有形や無形のさまざまな文化財群を地域が総合的に活用する等して国内外に発信することで、観光誘客や地域活性化を図ることを目的としています。
▽認定の経緯
本町における北前船の歴史は、これまであまり深掘りされることはありませんでしたが、一般社団法人地域連携研究所への参画を契機に2年の歳月を費やし、さまざまな調査を行った結果、認定に足る数々の構成文化財を確認しました。北前船が本町にもたらした伝統や文化は、今も色濃く地域に受け継がれています。
■江戸から明治 民を支え、夢と文化を運んだ北前船
北前船とは、江戸時代の中頃から明治30年代まで、日本海回りで現在の大阪と北海道を往復しながら商いを行っていた商船の総称です。
日本海側の港は、古くから栄えてきた港が多く存在したため、各寄港地に寄り、安い品物を買い、積み荷を高く売れる港で売るという「商売」をしていました。
北前船は、食料から生活用品、綿花等さまざまな商品を取り扱い「動く総合商社」として活躍し、北海道から大阪を1往復することで、千両(現在の約6,000万円〜約1億円)の利益を得ることができたと言われています。
武士を頂点とした身分制度の時代に、庶民が自分の才覚と努力で、大金持ちになるチャンスをつかむことができる北前船は、庶民の夢物語でした。
美浜町の早瀬、久々子、坂尻、丹生の集落からも多くの北前船が出航しています。特に早瀬地区には多くの船主が住み、大小含めて数多くの北前船を所有する、町内きっての寄港地であり、経済的に大変豊かな集落として繁栄しました。
美浜からは油桐(あぶらぎり)の実(ころび)を絞った油や、干鰯(ほしか)、米、素麺の他、一大産地であった早瀬の千歯扱き等が全国へ運ばれる一方、鯖や小鯛等の塩干物から、鉄や焼物といったさまざまな物品が美浜にもたらされています。
■日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間〜北前船寄港地・船主集落〜」認定に向けた町の取り組み
令和3年2月
(一社)北前船交流拡大機構及び敦賀市の打診を受け、(一社)地域連携研究所に自治体会員として入会
令和4年3月
「( 一社) 地域連携研究所自治体会員制度発足式」、「第30回北前船寄港地フォーラムin秋田」に参加
令和4年5月
( 一社) 北前船交流拡大機構から当町出身の五木ひろし氏に「北前船大使第1号」が委嘱される
令和4年8月
北前船日本遺産認定に向けた有識者会議において、調査を踏まえた申請内容、活性化計画を検討
令和4年9月
(一社) 北前船交流拡大機構事務局が来町し、構成文化財の現地確認
令和4年10月
町歴史文化館において企画展「千歯扱き」開催に伴い、全国への分布調査を実施
令和5年
PRチラシの作製及び配布
令和6年2月
町歴史文化館企画展「みはまに残る北前船の波跡」を開催
北前船PR動画を作製
文化庁へ追加認定を申請
令和6年6月
日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間〜北前船寄港地・船主集落〜」認定
■町に残る主な日本遺産構成文化財
▽日本遺産構成文化財
日本遺産のストーリーに基づく、地域に受け継がれている有形・無形の文化財で、美浜町の構成文化財は、大小あわせて17件が登録されています。
(1)早瀬区常夜灯
早瀬区内に祀られる日吉神社の石造常夜灯は19世紀に建立されており、同区内の恵比寿神社の常夜灯とともに、北前船が夜の海上から早瀬の位置を見失わないための目印にしたと思われる。
(2)北前船幟旗
坂尻の船主家に伝わるもの。
長さ313cm 幅55cm
(3)船絵馬『宇波西丸』
久々子の北前船主が所有していた歴代の船が描かれた絵馬。それぞれ北前船・合いの子船・洋式帆船の特性を持つ船で3隻並ぶ構図が描かれているのは珍しい。
(4)丹生金毘羅神社 船絵馬群
丹生の金毘羅神社に奉納したと考えられる北前船を描いた3点の絵馬で、そのうち1点は享和2年(1802)の記年があり、船絵馬としては県内最古級。
(5)北前船関係文書
船往来文書。早瀬に着岸できない大型の北前船の積荷運搬のため運航されていた小廻船(こがいせん)の往来を認める明治6年(1873)の書状。
(6)船箪笥
久々子の船主が所蔵していたもの。非常に丈夫で水に強く、気密性が高いため海に浮かぶことから、海難事故の多かった北前船では、重宝されていた。
構成文化財の一覧はこちらから
※二次元コードは、本紙をご覧ください。
※詳しくは、本紙をご覧ください。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>