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越前町の指定文化財を訪ねよう116

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福井県越前町

■越前町の指定文化財を訪ねよう116
―『黄檗版一切経』編(44)―

学M:こんにちは。
E子:こんにちは。ついに天保七年(一八三六)上野順藝(じゅんげい)(丹山(たんざん))(一七八五~一八四七)による『黄檗(おうばく)版一切経』の校合が終わりを迎えました。
しかし、天保八年(一八三七)九月、京都建仁寺が罹災し、順藝が底本とした『高麗版大蔵経』の多くが焼失してしまいます。
そこで、校合『黄檗版一切経』も失われることを恐れた東本願寺は、複製一式を本山に上納するよう順藝へ命じました。ここまでが前回の話です。
学M:東本願寺の命を受けた順藝は、早速に校合『黄檗版一切経』の複製に取り組みます。
しかし、弘化四年(一八四七)九月二十八日、順藝は病のため遷化しました。法名は「信珠院順藝」、六三歳のことです。
E子:順藝は志半ばにして亡くなってしまったのですか。残念です。
学M:順藝の遷化を弔う書翰(しょかん)は数百通にのぼったと伝えられます。
E子:数多くの師友が、順藝の死を悼んだのですね。
学M:『浄勝寺丹山』に一通の書翰が引用されていますので、紹介しましょう。
丹山様久久御病気竟御養生無二御叶一御死去披レ遊驚入候何れも様御愁傷之段推察仕御同事残心至極奉レ存候猶此上御疲等無レ之様御保護専一之事御座候恐恐
追福
よき菊は枯ても残る匂ひかな
愚案ながらうかが候処書添申候
初冬五日
松羅
買山様
これは女性の筆によるものです。差出人の「松羅」について詳細は分かりませんが、おそらく順藝の師友の配偶者ではないかと考えられます。『浄勝寺丹山』の筆者である山田秋甫は、「買山様」を順藝の長男・順尊のことと推定しています。
E子:順藝を失った遺族を気遣う内容の書翰ですね。添えられた一句から、順藝が傑出した人物であったことが分かります。
ところで、校合『黄檗版一切経』の複製化はどうなったのですか。
学M:順藝は亡くなる直前に長男・順尊を枕元に呼び、校合『黄檗版一切経』の複製を作成して東本願寺に納めるよう命じたと伝わっています。丹山の意志は長男の順尊に受け継がれたのです。
次回に続きましょう。

[引用・参考文献]山田秋甫『浄勝寺丹山』浄勝寺 一九一四年

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