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越前町の指定文化財を訪ねよう116

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福井県越前町

―『黄檗版一切経』編(45)―
学M:こんにちは。
E子:こんにちは。前回は、弘化四年(一八四七)九月二十九日に上野順藝(じゅんげい)(丹山(たんざん))(一七八五~一八四七)が亡くなり、丹山の意志は長男の順尊に受け継がれた、という話でした。
学M:順尊は、丹山が東本願寺より命じられた校合『黄檗版一切経』の複製に取り組みます。
そして、安政三年(一八五六)順尊の手によって、複製本が東本願寺に納められました。
E子:丹山が亡くなってから校合『黄檗版一切経』の複製が完成するまで、九年の歳月が経ったのですか。やはり、校合は大変な作業で、順尊は無事に務めを果たしましたね。
学M:順尊の功績をたたえ、東本願寺は羽二重一疋を贈ったことが『浄勝寺丹山』に見えます。また、東本願寺は丹山を贈擬講、つづいて贈嗣講に叙しました。
E子:たしか、大谷大学の前身である高倉学寮には「講師(こうじ)」・「嗣講(しこう)」・「擬講(ぎこう)」の三役がおかれていました。講師は現在の大学学長に相当し、嗣講・擬講は教授・准教授などの大学教員にあたるということでした。
丹山が贈られた「贈嗣講(ぞうしこう)」とは、非常に名誉あるものですね。
学M:丹山が行った『黄檗版一切経』の校合という業績は、後世にも大変に評価されます。昭和二十五年(一九五〇)、東本願寺は改めて丹山の偉業をたたえ、講師の位を追叙しました。
E子:すごいですね。その後、校合『黄檗版一切経』はどうなったのですか?
学M:現在、丹山が校合を終えた『黄檗版一切経』は浄勝寺に所蔵されています。昭和五十九年(一九八四)三月二日、これら『黄檗版一切経』は福井県指定文化財となりました。指定の内容を見ると、一五二一冊が福井県指定第二四一号となっています。
E子:たしか、鉄眼道光(てつげんどうこう)(一六三〇~八二)が刊行した『黄檗版一切経』は、一六一八部七三三四巻から構成されます。なぜ、浄勝寺本は一五二一冊と数が少ないのですか。
学M:その理由は明らかとなっていません。『黄檗版一切経』のうち、どの経典が遺存するのかなどについて、現在調査を行っています。
E子:順尊が東本願寺に納めた校合『黄檗版一切経』の複製本はどうなったのですか?
学M:こちらは、大谷大学図書館で保管されています。
これまでに丹山の生涯と『黄檗版一切経』の校合、大蔵経編纂の歴史などについて見てきました。
次回は『黄檗版一切経』編の最終回となります。越前町教育委員会が行っている『黄檗版一切経』の調査の意義と内容について説明します。

[引用・参考文献]
山田秋甫『浄勝寺丹山』浄勝寺 一九一四年

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