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越前町の指定文化財を訪ねよう116

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福井県越前町

―『黄檗版一切経』編(46)―
E子:こんにちは。
学M:こんにちは。この「越前町の指定文化財を訪ねよう」で『黄檗版一切経』をテーマに四六回の連載を続けてきました。今回は『黄檗版一切経』編の最終回となります。
E子:最後は、どのような話になるのでしょうか。
学M:今回は、越前町教育委員会が進めている『黄檗版一切経』の調査の目的と意義について、説明いたします。
E子:そもそも、なぜ『黄檗版一切経』の調査を行うことになったのですか。
学M:浄勝寺に所蔵される『黄檗版一切経』は、昭和五十九年(一九八四)三月二日に福井県指定文化財となりました。福井県教育委員会によると、六五八九巻一五二一冊の経典が指定を受けています。
しかし、これまでに各経典の明細については、公表されていません。
E子:つまり、どのような経典が残されているかは、明らかとなっていないのですね。
学M:一般に、鉄眼道光(てつげんどうこう)(一六三〇~八二)が刊行した『黄檗版一切経』は、七三三四巻一六一八冊といわれています。
E子:浄勝寺のものは、一〇〇冊ほど少ないのですか。
学M:そうです。そこで、調査ではどの経典が遺存しているのかについて調べています。あわせて、経典の保管状況も確認しています。
また、浄勝寺『黄檗版一切経』には、上野順藝(じゅんげい)(丹山(たんざん))(一七八五~一八四七)が京都建仁寺の『高麗(こうらい)版大蔵経』と一字一句にわたって対校した結果を記しています。
E子:建仁寺『高麗版大蔵経』の大部分は、天保八年(一八三七)九月に焼失しました。すると、浄勝寺『黄檗版一切経』を見ると、失われた『高麗版大蔵経』の内容が分かるのですね。
学M:その通りです。さらに、浄勝寺『黄檗版一切経』の巻末には、対校の記録である「対校録」が残っています。
E子:たしか、「天保五年甲午冬十月十日三校了釋順藝」のような、年月日と対校者の名前を記載したものですね。
学M:はい。この対校録を分析すると、順藝はどのような仲間たちと『黄檗版一切経』の対校を行ったかを知ることができ、順藝の交友関係や、幕末の浄土真宗における学僧の実態などが明らかになるでしょう。
E子:なるほど。このような目的により、越前町教育委員会は『黄檗版一切経』の調査を続けているのですね。
学M:浄勝寺『黄檗版一切経』の調査は現在も継続されています。調査が終わった後は、その成果を報告書として公表したいと考えています。
E子:その日が来るのを楽しみにしています。長い間、ありがとうございました。
学M:次回からは、違う学芸員が新しい内容で越前町の指定文化財について、紹介していきます。
これからも、よろしくお願いいたします。

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