■『小粕窯跡』編(6)
学H:さて前回は何故瓦が廃寺で見つかっているのか話しました。覚えていますか?
E子:たしか瓦は元々中国が起源で、仏教と一緒に日本に伝来してきたものでしたよね。そして最初は寺院のみであったのが、時代が経つにつれて役所にも葺くために作られるようになっていったのでしたよね。
学H:その通りです。そして、寺院や役所に葺かれた瓦は、それを造営した豪族や役人たちの「建物外観を中央(畿内)のものとできるだけ近づけ、自分たちの権威を示す」という政治的な意思を反映するものでした。
また、福井県で瓦が最初に使われたのは七世紀半ばのことでした。福井では寺や役所の建物すべてが瓦葺きではなく、特に重要な建物だけに葺いていたようです。
E子:政治的な面で重要だった瓦が、今では一般の家に葺かれているというのは凄く時代の変化を感じますね。
学H:そうですね。今でこそ瓦は一般住宅に葺かれていますが、実は福井県で瓦が生産されていなかった時期があります。
E子:そうなのですか!?
学H:そうです。福井県での瓦の生産は、8世紀になると低調になり、9世紀には終わってしまいました。これは瓦葺きの寺院の多くが、このころに廃絶したことが原因です。
E子:なぜこのころに瓦葺きの寺院が廃絶したのですか?
学H:このころ瓦を葺いていた寺院は、地域の有力豪族によって建立・維持されており、寺院独自の財政的基盤となる田畠や信者などをそれほど持っていませんでした。そのため有力豪族が没落し、寺院の援助が途絶えると、その影響を直接受けることになりました。
また、当時の瓦は、表面に釉薬をかけない素焼きのもので水を吸い込みやすく、冬になると吸い込んだ水分が、凍結・膨張をし、破損しやすいものでした。このため、瓦の補充など維持管理に大変手間がかかることから、次第に敬遠されるようになりました。そして9世紀中には瓦葺きの建物が姿を消すようになりました。
E子:福井県では、古代の瓦というのはとても貴重なものだったのですね。ということは、小粕窯跡は古代の瓦を生産していた重要な遺跡ということですね!
学H:その通り!小粕窯跡は、古代越前を知るために大切な遺跡です。次回も瓦についての説明です。
[引用・参考文献]
織田町教育委員会『小粕窯跡発掘調査報告書』一九九四年
中原義史「古代の瓦と寺院」『北陸の瓦の歩み』
(株)日本セラミックス協会北陸支部二〇〇一年
越前町教育委員会『越前町織田史(古代・中世編)』二〇〇六年
<この記事についてアンケートにご協力ください。>