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越前町の指定文化財を訪ねよう133ー小粕窯跡(7)ー

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福井県越前町

学H:今回も小粕窯跡の瓦について紹介していきます。
E子:よろしくお願いします。
学H:前回は古代瓦について説明しました。覚えていますか?
E子:確か当時使われていた瓦は雪の影響などで破損しやすいため、瓦の補充など維持管理に手間がかかっていたのですよね。
学H:その通りです。瓦を葺いていた寺院は、地域の有力豪族によって建立・維持されていたため、寺院独自の財政的基盤となる田畠や信者などをそれほど持っていませんでした。そこで有力豪族が没落し、寺院への援助が途絶えると、瓦葺の建物が姿を消すようになります。
E子:古代瓦が生産されていた時期は短いのですね。小粕窯で生産された瓦はどこに供給されていたのですか。
学H:瓦は権力の象徴です。織田の宗教施設へ供給された可能性が高く、地元の有力者が小粕窯跡の工人集団を掌握したと考えられます。瓦の供給先の候補として、劔神社付近にあった、後の劔御子寺が挙げられます。
E子:劔御子寺ですか?
学H:劔神社所蔵の国宝(昭和三十一年指定)の梵鐘には、「釼御子寺鍾神護景雲四年九月十一日」の銘があります。このことから、神護景雲四年(七七〇)には劔御子寺という神宮寺があったことは間違いないでしょう。
また、劔神社境内の池のほとりにある庭石は元々どこにあったのか不明ですが、径四〇センチメートルの柱穴とその中央に計二〇センチメートル、深さ一二センチメートルの舎利孔があり、形状から白鳳期~奈良時代前半に比定できます。心礎としては小さいため金堂の礎石と考えられています。
したがって、小粕窯跡で出土した瓦の年代を踏まえると、境内のどこかに奈良時代初頭には神宮寺的な性格を持っていた建物があった可能性が高いと考えられます。
E子:礎石から時代がわかるのは凄いですね。ところで、どういう人が小粕窯で湖東式瓦を焼くように命令していたのですか?
学H:それについては、次回紹介します。

[引用・参考文献]
・織田町教育委員会『小粕窯跡発掘調査報告書』
一九九四年
・中原義史「古代の瓦と寺院」『北陸の瓦の歩み』(株)日本セラミックス協会北陸支部
二〇〇一年
・越前町教育委員会『越前町織田史(古代・中世編)』
二〇〇六年

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