文字サイズ
自治体の皆さまへ

ふるさと散歩道

9/41

福井県鯖江市

■第348回 文化財編(25) 戦国の鯖江を語る古文書たち
かつて三十六坊もの塔頭(たっちゅう)を擁した長泉寺は、戦国の兵火にかかって一山が焼け落ち、現在では町名と中道院に繁栄の痕跡を残すのみとなりました。当時を語る史料は多くないものの、中道院や河野茂兵衛家の古文書からは朝倉・織田・一揆勢が入り乱れた激変期の様相が垣間見えます。
元亀元年(1570)、「志賀の陣」で織田・徳川軍と浅井・朝倉軍の戦闘が始まると、朝倉義景に従って長泉寺も衆徒を派兵します。穴太口(あのうくち)での野伏(のぶせり)では西泉坊(中道院取次寺)の千阿弥が鉄砲傷を負うほどの奮戦をみせましたが、厳冬期を前に両陣営は和議を結び、戦いは終結しました。
天正元年(1573)、一乗谷が織田軍の攻撃で灰燼(かいじん)に帰すと、西泉坊は織田信長に対して寺領の安堵を求めます。さらに翌年、一揆勢が力を増すと本願寺から派遣された下間頼照(しもつまらいしょう)に対しても寺領の安堵を求めました。
戦国の世を巧みに生き抜き、かつての長泉寺の歴史をつなぐ中道院には、今も「すりばちやいと」の伝統が受け継がれ、往古から変わらぬ無病息災の祈りが紡がれます。

◇平成13・14年度指定の市指定文化財
絹本著色阿弥陀如来画像・同裏書(和田町)
紙本木版五帖御文(和田町)
塑像心木(中野町)
中道院文書(長泉寺町)
河野茂兵衛家文書(小黒町)

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU