■第361回 文化財編(38) 「小天狗」泰太郎が駆けた薬師堂古墳
泰澄(たいちょう)が帝釈天(たいしゃくてん)を祀(まつ)ったという三里山、その西麓に薬師堂を頂く直径約20m、高さ約3mの古墳があります。未発掘のため内部構造は不明で、裾部も宅地化の影響を受けていますが、6~7世紀の円墳と推定されます。
戦国時代、三里山の医王山帝釈寺の堂塔は織田信長の兵火に罹(かか)りましたが、講堂(こうどう)の薬師如来と諸仏は炎を免(まぬが)れ、江戸時代初頭、古墳上に築かれた薬師堂に安置されました。この堂では京極高清(きょうごくたかきよ)の子・上坂泰舜(こうさかやすきよ)を父に、浅井家の庶流・三田村氏の娘を母にもつ泰太郎(やすたろう)が暮らしたとされ、彼は裏山の「天狗」に武芸と学問を学んで、大将の風格をもつ青年に成長しました。しかし、戦には身を投じず、「人のために生きよ」という母の教えを守って荒れ地を拓き、水や交通の便を良くして村の繁栄のために尽くしたそうです。
さて、泰太郎に教えを授けた天狗は何者だったのでしょうか。乱世に三里山で修行を積みながらも山を追われた僧侶であったのか、武門の落胤(らくいん)たる若君を見守る侍であったのか。
時を超えて在る古墳は薬師堂を守り、三里山の霊気は今も変わらず地域を守っています。
(文化課 藤田彩)
◇平成24年度指定の市指定文化財(2)
薬師堂古墳(舟津町)
長泉寺山古墳(水落町・小黒町)
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