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【シリーズ】南北朝・菊池一族歴史街道(1)

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福岡県八女市

八女市では現在、南北朝時代に懐かねなが良親王、良成(りょうせい)親王を支え、南朝方として九州制覇を成し遂げた菊池武光(きくちたけみつ)とゆかりのある6自治体(熊本県菊池市、八女市、久留米市、小郡市、うきは市、大刀洗町)で「南北朝・菊池一族歴史街道推進連絡協議会」を発足し、さまざまな地域活性化プロジェクトを展開しています。
昨年度から連載をスタートした今シリーズですが、今年度も引き続きそれぞれの加盟自治体に残された史跡や歴史文化を紹介します。

■熊本県菊池市
県内では本市にしか見られない「亀趺(きふ)の墓」と呼ばれる菊池一族の墓が4基残されています。13代武重(たけしげ)、15代武光(たけみつ)、17代武朝(たけとも)、23代政隆(まさたか)の墓で、全て市の指定文化財になっています。亀趺の墓とは、亀き蛇だと呼ばれる空想上の生き物の背の上に墓碑が乗った墓のことで、めざましい孝徳を積んだ人にだけ許される特別な墓です。

○武光の墓(神道碑)
熊耳山正観寺(ゆうじざんしょうかんじ)(東正観寺)にあります。正観寺のクスの樹下にあった墓は時代とともに廃れ、江戸時代には荒れ果てていました。文教菊池の祖とされる渋江紫陽(しぶえしよう)・松石(しょうせき)親子はそれを憂い、菊池一族の顕彰の大きな柱として武光墓所の整備に尽力します。そして、同じ南朝方の立役者楠くすのき木正まさしげ成に亀趺の墓が許されるのなら、武光もそうあるべき、と考えます。その願いが成就し安永8(1779)年、湊川(みなとがわ)神社(神戸市)にある正成の墓に倣って武光の墓が造られました。亀蛇は細面で吊り上がり気味の鋭いまなじりを持つ、とても凛々しい顔立ちです。

『菊池一族ウェブサイト』は、本紙またはPDF版掲載の二次元コードよりご覧ください。

問合せ:
文化振興課文化振興係【電話】23・1982
菊池市役所菊池プロモーション室【電話】0968・25・7267

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