■小郡市
福岡県小郡市は、筑紫平野から福岡平野へ抜ける場所に位置し、古来多くの人々が行き交った交通の要衝です。古代から中世まで九州を統括していた大宰府にも近く、南北朝時代には、九州を二分する南朝方と北朝方が雌雄を決した大保原合戦(おおほばるかっせん)(大原(おおはら)合戦)の舞台となりました。
市内には今でも合戦に関する史跡が残っており、戦いのあった夏を中心に毎年多くの人が訪れます。
■高卒都婆(たかそとば)
自衛隊の自動車訓練場横の墓地の一画に、1923(大正12)年三井郡教育会が建てた「史蹟高卒都婆」の碑があります。碑の裏面には「大保原戦ニテ戦没セシ将士ヲ埋葬供養セシ所ナリ。今尚此附近ヨリ屡々多クノ枯骨ヲ発掘ス」と彫られています。合戦の戦死者を葬り、冥福を祈るため卒塔婆を立て、千僧相寄って供養した場所とされています。毎年、地元の保存会を中心に慰霊祭が行われています。
■福童原古戦場跡(ふくどうばるこせんじょうあと)
大保原合戦(大原合戦)1361(正平16・康安元)年に懐良親王・菊池武光ら征西府は大宰府入りを果たします。しかし、北朝方は今川了俊を九州探題に任命し、1372(文中元・応安5)年、大宰府を奪還しました。高良山に退却することになった懐良親王ら征西府でしたが、了俊は高良山の征西府を攻めるために福童原に陣を敷き、1374(文中3・応安7)年9月に高良山を攻略、征西府は菊池へ撤退しました。そしてこの後、征西府が再び九州で覇権を握ることはありませんでした。福童原古戦場跡は、その合戦での死者を葬ったと伝えられる塚がある場所です。
問合せ:
小郡市教育委員会文化財課【電話】0942・75・7555
八女市文化振興課文化振興係【電話】23・1982
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