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自治体の皆さまへ

“つながるコーナー75”受け継いだ味と想い、これからも

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福岡県大刀洗町

-ドレミのホルモン-
丸山幸一(まるやまこういち)さん(南本郷)

2年前にオープンした「ドレミのホルモン」。一度途絶えた味が復活に至った理由やお店のこだわりを聞きました。

■町を離れて
今から約45年前、私が小学6年生の時に、両親が「ドライブインドレミ」を本郷に開業しました。ちゃんぽんやホルモン、定食メニューなどを提供し、大衆食堂として、地元の方々を中心に愛されながら営業していました。学生の時は、料理を配るなどのお店の手伝いをしていました。
高校卒業後、福岡市内のカメラ会社に約2年間勤務し退職。退職後は、ドライブインドレミを手伝いながら、後を継ごうかと考えていました。けれど、友人から自衛隊を勧められ、20歳の時に地元である大刀洗町を離れ、陸上自衛隊へ入隊しました。自衛隊では、熊本県での勤務が長く、異動により北海道などでも勤務してきました。入隊した当初は、長くは続かないだろうと思っていましたが、いつの間にか34年もの月日が流れ、3年前に定年を迎え退官しました。

■受け継ぐきっかけ
退官する前、父が他界した後も、母が一人でドライブインドレミを切り盛りしていましたが7年前に高齢のため、やむなく閉店しました。閉店後、地元に帰る度に、「あのホルモンを食べたい」とドライブインドレミのホルモンを懐かしむ声をよく聞いていました。そのことから、閉店し空き家となっていた当時の場所で、当時の味を食べてほしいと思い、大刀洗町に帰り開業することを決意しました。

■期待と不安を胸に開店
大刀洗町へ帰り、開店に向けてお店の建て替えや調理の勉強などを1年間行いました。とにかく当時の味を忠実に再現したいと思い、母に教わりながら修行をしました。元々、調理経験があまりなかったため、基本から学びなおし、修行にとても苦労しました。けれど、お客さんに当時の味を懐かしんで、喜んでもらいたいとの思いで、必死に修行しました。修行と同時に自分のオリジナル商品の唐揚げの研究もしました。お店はコロナ禍もありテイクアウト専門店にし、屋号は両親が営んでいたドライブインドレミの「ドレミ」としました。
接客業の経験がなかったため不安でしたが、期待と不安を胸に、2年前に妻と一緒に開店しました。

■ホルモンへのこだわり
お客さんの中には、ドライブインドレミの頃のなじみの方や県外の方など、たくさんの方に来ていただいています。時には、自衛隊の時に一緒に働いていた仲間も来てくれることもあります。懐かしいと喜んでくれたり、「美味しかったからまた来たよ」と伝えてくれたりと、日々やりがいを感じています。お店の看板商品であるホルモンは、豚の胃袋を使用しており、柔らかい部分は少し大きめに切り、硬い部分は小さく切るなど工夫しています。一番の味の決め手は母が開発したタレです。タレにはごまやスタミナがつくようにニンニクを沢山入れるのが特徴です。その母も今年、急に亡くなりました。時々手伝いに来てくれていたので、とても寂しいです。けれどきっと天国で応援してくれていると思います。

■最後に
お店は、来ていただくお客さんに感謝することを大切にしています。接客業を始めてみて、お客さんが、わざわざ足を運んでくださることのありがたさを実感しているからです。ホルモンや唐揚げを作るときはお客さんへの日々の感謝の気持ちを込めて調理場に立っています。
両親から受け継いだホルモンやオリジナルの唐揚げを一人でも多くの人に知ってもらえるように、お客さん一人ひとりを大切にしていきたいです。

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