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あけてみよう!歴史のとびら 170

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福岡県大野城市

かつて、大野の町にアメリカがあった

■板付基地返還直前
これまで朝鮮戦争の前線基地であった板付基地は、朝鮮戦争の休戦・ベトナム戦争介入の本格化によって日本に駐留している軍の配置調整を行い、昭和38年に中継基地になることが決まりました。この中継化に伴う基地の縮小に対して、大野町ではアメリカ軍の存在が「町発展」に経済的メリットをもたらしている点を重視し、同年12月の町議会で「板付基地縮小の問題は当町にとって重大な問題であるから、執行部、議会が一体となり、総力をあげてこれに対処する」との議決が行われました。それは、基地周辺整備事業を継続してきた町の事情や町民生活への経済面での影響を考慮した「板付基地の縮小または廃止に対する反対陳情」でした。
しかし、昭和39年からアメリカ空軍部隊の大半が板付基地から横田基地に移駐し、アメリカ兵やその家族の本国への引き揚げが開始されました。基地で働く日本人労働者の50%が大量解雇され、大野町は離職者の再就職対策を行うことになりました。
さらに、昭和43年6月にアメリカ軍のファントム機が九州大学工学部校内に墜落する事件が起こり、周辺市町村を含む「板付基地撤去運動」は大きな流れとなりました。
こうした状況の中、昭和46年5月には、春日原住宅地区の部隊が福岡市東区西戸崎に移転し、昭和47年4月、ついに板付基地返還の日を迎えました。

問い合わせ先:心のふるさと館文化財担当
【電話】558-2206

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