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あけてみよう! 歴史のとびら 167

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福岡県大野城市

かつて、大野の町にアメリカがあった

■デペンデントハウス
昭和20年(1945)12月、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は日本政府に「昭和22年(1947)3月までに約2万戸のデペンデントハウス(占領軍将校家族用住宅)および住宅集区の建設」を口頭で命令しました。デペンデントハウスの起源はアメリカ西部開拓時代までさかのぼるもので、戦地や占領地であっても将校軍人が生活の原点である家族と暮らす場所が米軍基地内のデペンデントハウスと住宅集区でした。以降、地元から白木原ベースと呼ばれた板付基地春日原住宅地区の建設が始められました。
しかし終戦直後の日本は食糧危機に加え、都市住宅の約3割が戦災で焼失、工場の操業率はわずか6%という状況下でした。そこで、日本政府はGHQに直談判して、デペンデントハウスの戸数を減らし期限を昭和23年(1948)3月まで延長しましたが、GHQから約95万点の家具や什器類の生産指令を受けました。それらの生産は日本の資材を使い、さらに米国人の生活様式をみたす必要があったため、日本人スタッフ約60人が所属したGHQデザインブランチが建物や家具などの設計や試作を担当しました。
こうして、日米折衷様式のアメリカ風外観を持つデペンデントハウスの設計ができ上がりました。商工省工芸指導所が実施設計を行い、全国各地の工場をフル稼働させました。終戦直後の日本で、膨大かつ高いレベルの住宅建築と家具・什器類、家電製品の製造を約2年の短期間で実現させました。このことで工場は軍需から民需への生産転換と機械化による量産体制を確立させ、各産業が戦後復興するきっかけになりました。

問い合わせ先:心のふるさと館文化財担当
【電話】558-2206

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