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太宰府の文華~公文書館だより(111)

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福岡県太宰府市

■水城村のサルヅカ
公文書館ホームページのタイトルバナーには『郷土読本』という資料の画像を使っています。これは、昭和12年(1937)に水城尋常高等小学校が教材として作成したものです。前年、同校は福岡県の郷土教育研究指定校に選ばれており、『郷土読本』はその研究成果と言えるでしょう。この『郷土読本』には「サルヅカ」という昔話が収録されています。水城村に住む夫婦の家で飼われている猿が、夫婦の留守中、見様見真似で赤ん坊を風呂に入れたところ、誤って熱湯につけて死なせてしまい、その罪を悔いて自害するという内容です。ところが、『郷土読本』の前年に刊行された『筑前の伝説』(佐々木滋寛(じかん)編、昭和11年)は、「猿塚」を岬村 字 鐘崎(みさきむら あざ かねざき)(現・宗像市)の伝説としており、伝説の出典として江戸時代の井原西鶴(いはらさいかく)の奇談集『懐硯(ふところすずり)』を掲げています。佐々木滋寛には昭和7年にも『筑前伝説集』という著作があり、同じ「猿塚」を掲載していますが、こちらは太宰府町の伝説としています。佐々木は『懐硯』巻四「人真似(ひとまね)は猿の行水(ぎょうずい)」という話を翻案するに当たり、なぜ一方は太宰府、一方は鐘崎の伝説としたのでしょうか。
『懐硯』では、物語の発端は太宰府の里と明確ですが、その後の舞台及び猿塚の所在については具体的な地名を記していません。そこで佐々木は『筑前伝説集』に採録する際、太宰府付近の「或(あ)る村」の話と仮定したものの、4年後の『筑前の伝説』編集時に再度『懐硯』を精読し、「鐘崎」の方が妥当と考え直したのではないでしょうか。ともかくこの改訂により、太宰府の「猿塚」は鐘崎へと移動してしまったのです。
『郷土読本』の担当者は、昭和7年の『筑前伝説集』の方を参照し、太宰府の伝説とされていたからこそ「猿塚」を採用したと推測されます。『郷土読本』への収録に際し「或る村」の部分に「水城村」を当てはめ、小学1年生の読み物としてふさわしい内容へと編集し、郷土教育教材としての「サルヅカ」を誕生させたと考えられるのです。

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ページID:7241

太宰府市公文書館 荻野 寛美(おぎの ひろみ)

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