■古代大宰府の所司(しょし)
ここにいう所司を、私は「大宰府部内にそれぞれの庶務を担うべく形成された分課的な部署」と定義しています。それらが〇〇司、△△所などのように呼ばれていたのです。たとえていえば市役所の中の総務課、税務課、財政課などのようなもの、といえばわかりやすいでしょうか。史料上では、主神司、防人司などをはじめとして26の所司を確認することができます。
私は、昨年3月に刊行された機関誌『太宰府市公文書館紀要―年報太宰府学』第17号に「大宰府所司の形成過程とその運営体制」という論文を発表しました。ここではその論文で考えたことをもとに、少し述べてみたいと思います。
ポイントの一つは、それらの所司の成り立ちを(A)四等官系、(B)品官系、(C)大宰府機能・職掌分掌系の3つにわけて考えてみたことです。(A)は大宰帥以下の四等官に直接つながるとみられる所司で、政所、公文所、大帳所の3所をあげています。また(B)は、養老職員令大宰府条に規定された品官を母体とするもの、(C)は同じく大宰府条に規定された大宰帥や品官のもつ職務内容の一部を継承する形でできた所司と考えています。
もう一つのポイントは、それらの成り立ちを基礎にしながら、これまであまり言及されていなかったそれぞれの所司の運営体制のあり方にもふみこんでみたことです。一般に、こうした所司の運営には、大宰監・典といった四等官のうちの第三等官・第四等官が関わっていたとされてきましたが、ことに(B)の所司と(C)のそれとではその関わり方が相違するのではないか、と考えてみたのです。こうした検討を積み重ねていくことで、古代大宰府の姿を少しずつ明らかにしていきたいと考えています。
これを読んで関心をもった人には、機関誌(図書館で閲覧できます)を手に取って一読してもらえればと思います。
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太宰府市公文書館 重松 敏彦(しげまつ としひこ)
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