■濱田(はまだ)ちどりさんのこと
林内(はやしうち)隆二(りゅうじ)(小学校英語専科教諭)
私が所属している「願児我楽夢」の曲は、差別を受けてきた状況の中から立ち上がり、解放運動を続けている人たちの思いを受け止め、そのメッセージを伝えるために作ってきました。濱田ちどりさんの曲もその一つです。
ちどりさんは鹿児島に生まれ、生後わずかで高熱を伴う病気にかかり、首から下は自分の意志で動かせない身体になりました。それでも、遠方に働きに行っている両親に代わって育ててくれたお祖母ちゃんのもと、ちどりさんは朗らかさを失うことなく育ちました。
小学校に入学するのを楽しみにしていたある日、役場から「あなたは障害をもっているので、就学を免除します」と通知が届きました。お祖母ちゃんは「やがて私がいなくなれば、ちどりは一人で生きていかねばならんくなる。その時必要なのは学力だ。そのためにも学校にやらねば」と考えました。そして、お祖母ちゃんは学校に掛け合います。「だめ」と言われ続けましたが、あきらめませんでした。何度もお願いして、ついに1年遅れて、ちどりさんは小学校に入学することができました。乳母車に傘を差し、雨の日も風の日もお祖母ちゃんと2人で登校しました。ノートはお祖母ちゃんがとり、給食はお祖母ちゃんがスプーンで口に運びました。1年経った時、お祖母ちゃんは過労で倒れてしまいました。「1年だけでも小学校に通えてよかったね」と赤飯を炊き、2人でささやかなお祝いをした翌朝、お祖母ちゃんは亡くなりました。
その後、ちどりさんは13歳で小学2年生に編入しました。中学校には通えなかったので、中学卒業程度認定試験に何年もかけて合格し、40歳で定時制高校に入学しました。
ちどりさんの人生は波乱万丈でした。しかし、そこには「障害」を乗り越え輝く、ちどりさんの青春がありました。
「やさしさに出会えるから」
詩 濱田ちどり(一部抜粋)
私足が不自由で歩きが不安定です。いつも転んだりぶつけたり、すり傷絶えません。エスカレーターにも乗れません。階段を恐る恐る一歩ずつ上がります。学校にも行けなかった。
社会教育課 教務係
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