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太宰府の文華~公文書館だより(121)~

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福岡県太宰府市

■白レグ・名古屋種・三河種 太宰府の養鶏の歴史

現在、太宰府中学校が建っている場所は、以前に福岡県の種鶏場(しゅけいじょう)があった所です。種鶏場とは、良質な卵を産む健康な鶏を生産し、養鶏農家などに供給するための施設です。鶏卵の供給を輸入に頼る現状の打開を目指す国の鶏卵増産計画を受け、福岡県は昭和4(1929)年、太宰府町から寄附された鉾(ほこ)の浦の土地に、先進地の名古屋や熊本の施設に劣らない、18~19棟の鶏舎を持つ規模の種鶏場を開いています(『福岡日日新聞』)。名古屋種や三河種といった国内の代表的な鶏だけでなく、白色レグホンは米国からも卵で取り寄せて試験が始まりました。この種鶏場は、昭和54年に筑紫野市吉木に移転するまでの50年間、同地において優良種鶏の研究開発に貢献することになります。
養鶏は、明治時代から農家の副業の一つとして奨励されており、水城村では、明治35(1902)年ごろに作成された『村是(そんぜ)』(村の産業振興策を記す)にも奨励すべき事業として養鶏が掲げられ、当時は他の町村へ移出できるほどの生産があったようです。しかし養鶏ともなると、ある程度まとまった数の鶏を扱うことになりますから、飼育に際してはしっかり管理しないと、他人の田畑に飛翔して作物を食害し被害者より往々不平を訴えられてトラブルに発展することもままあったようです。それが原因か、太宰府町では、町内の養鶏が禁止された時期がありました(『太宰府市史』)。具体的な政策の後押しが無くては、定着しにくい事業であったのかもしれません。昭和時代に入ってからの県の種鶏場の設置は、養鶏の本格的な普及に大きく影響したと思われます。
昭和10年頃、水城村尋常高等小学校が作った教師用指導書『我校の郷土教育』では、児童に郷土の認識を深めさせるための遠足の候補地の一つとして、すべての学年向けに太宰府町の福岡県立種鶏場を挙げています。遠足の目的には、郷土について児童に誇りを持たせることもありましたので、きっと種鶏場の堂々たる研究施設と広大な鶏舎は絶好の教材となると考えられたのでしょう。

太宰府市公文書館
藤田 理子(ふじた まさこ)

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