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太宰府の文化財vol.477

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福岡県太宰府市

■刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)〜平安時代の外寇(がいこう)事件〜

昨年、NHKで放送された大河ドラマ「光る君へ」では、最終盤に大宰府が大きく取り上げられました。昨年11月には、まひろ/紫式部(むらさきしきぶ)役の吉高由里子(よしたかゆりこ)さん、藤原隆家(ふじわらのたかいえ)役の竜星涼(りゅうせいりょう)さん、制作統括の内田(うちだ)ゆきさんによるスペシャルトークショーも太宰府で行われました。
「光る君へ」第46回は、隆家が大宰権帥(だざいのごんのそち)として活躍した「刀伊(とい)の入寇」がテーマでした。今回はその事件を紹介します。
寛仁(かんにん)3(1019)年、北部九州は突如として「刀伊賊(といぞく)」の襲来を受けます。「刀伊」とは、中国東北地方東部を中心に居住するツングース系の女真(じょしん)族とされています。その襲来の第一報は4月7日、対馬島司(しまのつかさ)、壱岐島講師僧によってもたらされました。同日にはさらに筑前国怡土(いと)郡に襲来、志摩・早良郡を経由して人・物を掠奪し、民宅を焼き払ったといいます。翌8日になると、筑前国那珂郡能古島に移動し、その南方に位置していた大宰府警固所(けいごしょ)をめぐる攻防となりました。同月13日、今度は肥前国松浦郡に襲来しますが、反撃にあい進攻することができず、遂に帰還したのです(図参照)。
大宰府からの報告によればその被害は甚大でした(表参照)。殺傷された人数よりも掠奪された人数の方が多いのが特徴的で、そこには労働力確保の意味合いや中国大陸における奴婢市場(ぬひしじょう)への供給があったと推測されています。
この事件では、大宰権帥・藤原隆家が大いに奮戦しています。藤原実資(ふじわらのさねすけ)の日記『小右記(しょうゆうき)』には、隆家自らが大宰府警固所に赴いて合戦に臨んだことが記されています。また歴史物語『大鏡』には、隆家は弓矢のこともよく分からない人物なのでどうなることかと思ったものの、「やまと心かしこくおはする人」(知恵や才能に優れている人)だったので、筑前・肥前・肥後など九国の兵を興(おこ)し、また府内に仕える兵も加えて戦いに臨んだとあります。当時の大宰府の武力が「九国の兵」(在地住人系武者)と「府内に仕える兵」(府官系武者)とによって構成されていたことが分かります。隆家は、府官系武者のことを「府の止んごとなき武者」(大宰府の立派で優れた武者)と呼び、彼らが「刀伊賊」撃退に大きな役割を果たしたと語っています。

公文書館
重松敏彦(しげまつとしひこ)

※図表は本紙裏表紙をご覧ください。

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