1月7日に宮田文化センターで行われた宮若市はたちのつどい。
「久しぶり!!元気にしとん?」「今なんしよん?」「写真撮ろうよ!」と、旧友との再会に喜びながら話す姿は、まるで時が巻き戻され青春時代に戻ったようでした。
式典後は、恩師からのビデオレターや抽選会を楽しむなど、思い出に残る1日を過ごしていました。
[20年前の主な出来事]
-2003年4月~2004年3月-
・「六本木ヒルズ」オープン
・小惑星探査機「はやぶさ」打ち上げ
・アメリカ発のSNS・Facebookが運用開始
[20年前の主なヒット曲]
・SMAP『世界に一つだけの花』
・ORANGE RANGE『花』
・一青窈『ハナミズキ』
はたちのつどいの写真は市公式インスタグラムにも掲載しています
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■20歳の決意
令和6年はたちのつどい実行委員会 委員長
松本 蓮樹(まつもと れんじゅ)
子どもの頃から続けてきた大好きな野球。親元を離れて、これまで当たり前に受けてきた両親のサポートが、当たり前ではなかったのだと、ひしひしと感じています。
これからたくさん恩返しをしていきたいし、感謝の気持ちを言葉で伝えられる優しい大人になりたいです。
[プロフィール]
宮田北小学校・宮若東中学校卒業。3人兄弟の長男。
中学・高校では生徒会活動を行う。現在、経済学を学ぶ大学2年生。特技は小学校5年生から続けている野球。
◇大人の仲間入りを改めて実感
僕たちの学年は、高校三年生のときに成年年齢が十八歳に引き下げられました。だけど、当時はまだ高校生だったこともあって、あまり実感はありませんでしたね。正直、今も講義やサークル、アルバイトと、充実しながらも慌ただしい毎日を送っていて、気づいたら二十歳になっていたという感覚です。
でも、はたちのつどい実行委員会で同級生たちと式典などの準備をしていると、人生の節目を迎えることを実感してきました。当日は、たくさんの同級生に再会できたのですが、みんな変わっていないようで成長していて。僕は、小学生の頃から背が高い方だったんですけど、いつの間にか僕よりも背が高くなっている友達がいて驚きましたね。たくさんのお祝いの言葉ももらい、思い出に残る式になりました。
◇両親の支えに感謝 目指す大人像へまい進
小学校五年生の時、友達に誘われて野球を始めました。両親は週末のたびに、僕たち兄弟のためにお弁当を作ったり、試合の応援にかけつけたりしてくれました。今、親元を離れてみて、両親は平日働きながら、休日は僕たちのために大切な時間もお金も使ってくれていたのだと、ひしひしと感じます。「ありがとう」と「大好きだよ」を心から伝えたいです。
僕は、これまでやってきて良かったなと思っていることが二つあります。一つは野球です。中学生の時は、学校の野球部ではなくクラブチームに所属し、週五日から六日、三時間近く練習していました。学校が終わると、直方市にある練習グラウンドまで自転車で通う生活で。辛いと感じることもありましたが、三年間やめずに続けられたことは、自信につながっています。今は大学の野球サークルに入っていて、これからも続けていきたいです。
もう一つは生徒会活動です。もともと人前に出て話すことが得意ではないんですが、いつか何らかのかたちで自分のためになると思い、なるべく進んで引き受けるようにしています。中学では体育委員長を、高校では体育祭実行委員長を務め、高校の卒業式では答辞を読みました。今回のはたちのつどい実行委員会で委員長を務めたことも、きっと自分の糧になると思います。
今、大学で経済学を学びながら、将来は公務員として地域のために働きたいと考えています。また、社会経験を積むため、レストランでアルバイトをしています。言葉づかいや礼儀作法など、時には厳しく指導されますが、仕事終わりには食事に誘ってもらえるなど、優しい雰囲気の職場です。僕も先輩たちを見習って、誰に対しても優しく、メリハリのある生活や仕事のできる大人を目指します。
■実行委員が作り上げた「はたちのつどい」
はたちのつどいは、立候補で集まった実行委員会のみなさんが協力して企画・運営しました。委員には、宮若東中学校4人、宮若西中学校10人の卒業生が集結。
11月と12月に実行委員会を開催し、式典後のアトラクションの内容や記念品を話し合い。さらに、前日には会場設営や配布物の準備、当日は受付や司会進行に従事。厳粛かつ心温まる式典を作り上げました。
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