漫画家
植野 メグルさん
「あの時母が怒っていなかったら、今の自分はいないんじゃないかなと思います」。
月刊少年エースと週刊ヤングマガジンで作品を連載している人気漫画家の植野メグルさん。漫画家を目指したきっかけや、これまでの苦労を語ってくれました
植野 メグルさん【うえの めぐる】
週刊少年マガジンの第89回新人漫画賞特別奨励賞を受賞。平成27年、月刊少年エースで連載を開始したラブコメディ作品『はじめてのギャル』がヒット。平成29年にはテレビアニメ化もされた。宮若市出身。現在34歳。
■勉強もできないやつが漫画家になんてなれないだろ
中学生の時に、とあるアニメに出会い、絵を描き始めました。好きなキャラクターを描きまくって、学校の黒板に貼っていましたね。その頃は、「絵を描く仕事になれたらいいな」くらいの感覚で、本気では目指していませんでした。
高校に進学してからは、マンガの専門学校に行こうかなと考え過ごしていました。でも、高校二年生の三者面談の時に担任から、「勉強もできないやつが、漫画家になんてなれないだろ」と言われ、かなり落ち込みました。ただ、その帰り道に母が、「何あの先生、話も聞かずに」と、怒ってくれて。それを聞くと僕自身も吹っ切れて、頑張ろうと思いました。
それからしばらくして、友人に、「一緒に美術大学に行こうよ」と言われ、高三の夏から画塾に通いながら勉強し、名古屋造形大学のマンガコースに進学しました。
■夢の連載とアニメ化
大学を卒業する頃には、東京で漫画家のアシスタントをしながら作品を描いていました。そんなある日、コミティアという同人誌即売会で開催された、出張マンガ編集部に持ち込みをし、何社か回った末に今の担当編集者と出会いました。
それから二回ほど読み切り作品を掲載させてもらえて、当時はすごくうれしかったですね。漫画家って最初は、読み切りデビューを目指して、その後連載を決める会議に企画を通すというプロセスを踏むんです。ただ、その壁が高くて、なかなか連載って決まらないんですよ。ずっと会議に落ち続けて結果が出ない人もいます。その中で早くにステップアップできたのは、自分の自信につながりましたね。
そこからは、会議で自分の作品の連載が決まったり、その作品がアニメ化したりと順調に進んだんです。今ではデビュー作の月刊連載もやりながら、週刊誌でも描いています。
あの時母が怒っていなかったら、今の自分はいないんじゃないかなと思います。支えてくれた人みんなに感謝したいですね。
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