■広川町にある巨樹・珍樹その4
センダンは落葉高木で、秋になると房状の黄実をつけることで広く知られた身近な樹木で、「栴檀(せんだん)」の字が当てられています。
昔から、「栴檀は双葉(ふたば)より芳(かんば)し」という言葉がありますが、「栴檀は発芽のころから早くも香気があるように、大成する人は子どもの時から並はずれてすぐれている」の意味で説かれます(『広辞苑』)。
下広川小学校の運動場の一角には、センダンの大樹が大きく枝を張っており、下広川小学校にとってのシンボル樹です。
実は現在の木は2代目で、初代の木は明治42年(1909年)ごろに植えられたことが分かります(『下広川小学校百周年記念誌』昭和49年)。
初代の木は昭和40年ごろに落雷に遭ったことで衰弱し、しばらくして枯死します。
そこで当時のPTAなど関係者が協議の上で、2代目の木を植えることとなり、石人山古墳から移植してきたもので、昭和46年ごろだったと、植栽に関わった当事者の話を聞いたことがあります。そうなると当該木の樹齢は推定70年ほどかと考えられます。
推定樹高 20・0メートル
幹周 2・1メートル
を測り、移植されてすでに半世紀が経過しており、ずいぶんと生長したことが見てとれます。
運動場ですから地面は固いにもかかわらず、樹勢はすこぶる盛んです。
前掲の『下広川小学校百周年記念誌』には、卒業生の回想記が収録されていますが、その1つに「センダンは双葉より芳し、という言葉にヒントを得て、先生たちが植えられた。その配慮(はいりょ)のほどを後年(こうねん)になって感じた」とあります。
下広川小学校は、昨年が創立150周年記念の年でした。運動場に枝を張り高く聳(そび)えるセンダン樹が、これからも子どもたちの成長を、しっかりと見守り続けてほしいと願っています。卒業生にとっても生涯に忘れることのできない、心のよりどころではないでしょうか。
■広川町古墳資料館だより
12月15日(日)まで、石人山古墳顕彰340周年展を開催中です。
貞享(じょうきょう)元年(1684年)に大庄屋の稲員孫右衛門安則(いなかずまごえもんやすのり)が石人山古墳(せきじんさんこふん)の墳丘上に倒れていた石人を立て起こしてから、340年が経過しました。この企画展では、古墳を訪れた著名人や石人山古墳との歴史的な関わりなどを紹介しています。
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